本页使用了标题或全文手工转换

日本全國高等學校足球錦標賽

维基百科,自由的百科全书
跳转至: 导航搜索
日本全國高等學校足球錦標賽
Japan national stadium02.jpg
國家/地區  日本
成立年份 1917年
球隊數目 48
聯賽系統 高中锦标赛
應屆冠軍 富山第一2014年
最成功球隊 御影师范
網站 全国高校サッカー選手権大会
2014年

日本全國高等學校足球錦標賽日本著名的全國高中足球锦标賽之一。因為在每年1月間於首都圏舉行,故一般俗稱“冬季大會冬の大会)”或“冬季國立冬の国立)”。英文名稱為「All Japan High School Soccer Tournament」。

此聯賽由日本足球協會全國高等學校體育聯盟(簡稱:高體聯)和以日本电视台为首的43家民营电视台联合主辦。原則上參賽資格採一縣一校制,不過由於東京都的學校較多,因此會有兩支代表校參賽。各學校經過地方預賽後,由優勝校代表該賽區參賽。

简史[编辑]

1910年代到1920年代,在日本关西地区、两家大型报社朝日新聞大阪本社和大阪毎日新聞社(今毎日新聞社)为了扩大报纸的销量举办了大量的体育赛事。特别在1917年举办的远东锦标赛的刺激下,日本各地的足球赛发展起来。1918年,在每日新闻的主办下,同时包括英式足球和英式橄榄球的“日本足球大会”正式开幕。该大会原本的意图是将当时的英式橄榄球劲旅﹣庆应义塾大学英式橄榄球队引到关西地区比赛。然而关西地区英式橄榄球队伍稀少而足球队伍众多,于是办成了英式橄榄球和英式足球同时举行的大会。讽刺的是,当庆应义塾大学英式橄榄球队报名参赛后,发现对手不过是旧制中学(相当于现在的高中)代表队,于是愤而离场。最终虽然橄榄球部分的比赛得以保全,并发展为日本战后另外一大高中赛事──全国高等学校英式橄榄球大会;但足球部分更加重要。

同年,在朝日新闻推动下,關東中等学校蹴球大會在东京召开,现代柔道创始人、大日本体育协会会长嘉纳治五郎亲自发表讲话,皇室六名成员和英国大使莅临开幕式,使关东中等学校蹴球大会大壮声势。随后,日本全国各地分别诞生了多个以旧制中学、旧制高等学校、旧制师范学校等学校学生为主体的足球比赛。由于每日新闻社坚定不移的支持,“日本足球大会”越办越大,越办权威性越强。在声势和公信力上都超过了朝日新闻推动的關東中等学校蹴球大會,参赛队伍突破了关西一地,逐渐成为全国性大赛。1934年,在大日本蹴球协会(即现在的日本足球协会)指导下,“日本足球大会”成为全国唯一保留的青少年足球大会。此后,随着太平洋战争的爆发,大会一度中断,战后改名为现在的“全國高等學校足球選手權大會”。1948年,全国高等学校体育联盟加入主办单位队伍。1966年,由于日本文部省要求每个体育项目只能设立一种面向高中生的全国性专门比赛,而与每日新闻共同主办比赛的日本足协和日本全国高等学校体育联盟擅自决定将本大会并入夏季的日本全国高中生综合体育大会,每日新闻社的经营者得知这一消息,深感恼怒,一气之下宣布退出主办队伍。而高体联受文部省政令影响无法继续参加本导致1966﹣1969四年间,只有日本足协充当本大会的主办单位。失去每日新闻赞助的本大会在这四年间被迫缩减规模,媒体宣传力度也大为减弱,陷入了生死存亡的危机。从宣传角度上,由于每日新闻社的退出,致使新闻宣传规模大大缩小,只有公共广播机构NHK肯转播大会的决赛。由于高体联的退出和文部省政令的影响,地方预选赛也无法举行,只好通过推荐报名来选出队伍参赛。由于经费紧张,赛程被迫缩短,决赛参加队伍也不得不从32支缩减成16支.

1970年,日本文部省开始允许各体育项目设置每年一次以上的全国性专门大赛,全国高等学校体育联盟回到了本大会的主办单位名单中。与此同时,通过长期参与棒球联赛运营的经验,日本第一大报读卖新闻的经营者意识到日本足球走向职业化是必然趋势,组建了读卖足球俱乐部(东京绿茵的前身),并开始赞助高中足球活动,以为未来的足球发展打下人才储备基础。在日本足协的提案下,读卖新闻及其旗下的NTV电视台(即日本电视台)开始于1970年大会起参与本大会,但当时NTV只是和NHK一起转播了大会的决赛。NHK向NTV電視臺提出要求“如果要讓我們讓出轉播權,請你們證明一下你們對高中足球的誠意。”爲了證明自己的誠意,同年,NTV電視臺爲了證明誠意,也爲了震住日本足協,自掏腰包舉辦了“全国高校サッカー研修大会”,邀請日本全國範圍內的足球強校參加並全程轉播。此舉收到了效果。同時,日本最大的廣告公司電通向日本高體連提出了連合其他電視臺轉播本大會的計劃案,希望把高中足球變成第二個甲子園。經過日本足協的撮合調解,NTV電視臺與電通走到了一起。在電通的幫助下,NTV電視網與TBS電視網和富士電視網的部分地方臺聯合組建了轉播聯合體。1972年之後,該轉播聯合體拿到獨家轉播權。同時,電通廣告公司通過反覆奔走,終於爭取到普利斯通輪胎富士施樂兩家公司的贊助。由於甲子園的影響,同在大阪舉行的高中足球賽人氣低迷。NTV電視臺运动局的幹部坂田信久爲了拉動人氣,親自跑遍全國各參賽高中,懇請學生會前往應援,甚至爲趕往應援的同學分擔路費。NTV電視臺的幹部还请到立命馆大学应援团来为各比赛队伍加油。

1974年,在采访西德世界杯的时候,与富士电视网同属富士产经传媒集团的《产经体育》记者贺川浩当着NTV电视台工作人员的面,提出了能否将高中足球锦标赛移动到东京举办,以拉抬人气的问题。1976年,为了大会的更好发展和电视转播的便利,NTV电视台、日本足协、高体联顶住关西地区方方面面的反对,把大会主会场从大阪转移至东京,东京国立霞丘陆上竞技场成为大赛最终决赛的战场。到了1979、1980两年,本大会在东京国立竞技场举行的半决赛和决赛已经是场场爆满,一票难求。连当初反对将本大会移动到东京的时任日本足协副主席川本泰三也承认:“把主会场移动到东京真是太好了”。1971-1980年,大会的规模也从16支球队扩大到32支球队。1983年,本大会实施了除东京可有两个参赛队伍外,其他46个道府县必须决出一支参赛队伍参赛的赛制,使大会规模维持在47队的水平。

现在,全國高等學校足球選手權大會已经成为日本国内各俱乐部选拔未来之星的重要场所,大赛的优秀选手还会于每年4﹣5月以日本高中足球选手选拔代表团的名义赴欧洲参加青年足球大赛。(偶数年份参加瑞士贝林佐纳国际青年足球大赛、奇数年份则参加德国杜塞尔多夫国际青年足球大赛)。随着J联赛俱乐部纷纷组建青年军,高中足球队伍发生人才分流,有舆论指出本大会的竞技水准有所下降。此外,一些所谓的“足球豪门”高中,风光不再,“程咬金”屡出不穷,本大会赛场上呈现出一派战国模样。

由于东京国立霞丘陆上竞技场自2013年夏天起开始改建,从第93届起,本大会的开幕战将转移至驹泽陆上竞技场举行,而半决赛和决赛将转移至2002年韩日世界杯主场地之一埼玉2002体育场继续举办。

賽制[编辑]

全國大賽是採用單敗淘汰制。全国大赛中、如果一名球员被警告2次下场比赛不能出场。

比赛时间如下:

第一輪至八強决赛为上下半场各40分钟的形式、上下半场结束后如果战平,则以点球大战决胜。 準决赛为上下半场各45分钟的标准形式、上下半场结束后如果战平,则以点球大战决胜。 决赛为上下半场各45分钟的标准形式、上下半场结束后如果战平则进行上下半场各10分钟合计20分钟的加时赛。加时赛结束如仍为平局,则以点球大战决胜。

广播电视转播机构[编辑]

本大会的电视转播最初是由NHK进行决赛转播,1970年代后由NTV接手,逐渐发展到包括自家在内的总计43家电视台进行近乎全程的电视转播。2009年起,本大会的全部赛程实现了高清晰度1080i转播、5.1声道环绕立体声伴音,并有隐藏式字幕提供。下表为分担转播任务的地面无线电视台名单,另有卫视频道NTV G+参与录播。

在任务分配方面,每家电视台分别担当其所在区域队伍参加的比赛、以及全国大会的开幕式、准决赛、决赛。但也有例外:如NTV总台负责东京和茨城两地队伍的比赛。日本海テレビ负责鸟取、岛根两地,RNC兼管香川、冈山两地,福岡放送兼管福冈、佐贺两地。

担当地区 电视台名称 电视网 备考   担当地区 电视台名称 电视网 备考
東京都 NTV NNS 主要电视台   愛媛県 南海放送 NNS
茨城県 高知県 高知放送
北海道 札幌テレビ 山口県 山口放送
青森県 青森放送 福岡県 福岡放送
岩手県 テレビ岩手 佐賀県
宮城県 ミヤギテレビ 長崎県 長崎国際テレビ 1991年開局
秋田県 秋田放送 熊本県 くまもと県民テレビ 1982年開局
山形県 山形放送 大分県 テレビ大分 FNS/NNS 2000年から放送開始
福島県 福島中央テレビ 鹿児島県 鹿児島読売テレビ NNS 1994年開局
新潟県 テレビ新潟 1981年開局 宮崎県 宮崎放送 JNN
長野県 テレビ信州 1980年開局 沖縄県 沖縄テレビ FNS
山梨県 山梨放送 栃木県 とちぎテレビ JAITS 1999年開局
静岡県 静岡第一テレビ 1979年開局 群馬県 群馬テレビ 1971年開局
愛知県 中京テレビ 埼玉県 テレビ埼玉 1979年開局
富山県 北日本放送 千葉県 チバテレビ 1971年開局
石川県 テレビ金沢 1990年開局 神奈川県 テレビ神奈川 1972年開局
福井県 福井放送 NNS/ANN 岐阜県 岐阜放送
大阪府 読売テレビ NNS 三重県 三重テレビ
鳥取県 日本海テレビ 1989年フルネット化 滋賀県 びわ湖放送 1972年開局
島根県 京都府 KBS京都
広島県 広島テレビ 奈良県 奈良テレビ 1973年開局
岡山県 西日本放送 1983年相互乗り入れ 和歌山県 テレビ和歌山 1974年開局
香川県 兵庫県 サンテレビジョン
徳島県 四国放送

在广播方面,アール・エフ・ラジオ日本会转播决赛,静冈放送则会转播本县队伍的比赛。

在日本足球青训体系中的作用[编辑]

川口能活中村俊辅中田英寿等知名的足球选手正是通过本大会脱颖而出,得以被职业俱乐部录用,成为职业球员。 较有名的例子是职业足球选手本田圭佑,本田曾为职业队青训队伍淘汰,返回石川县星稜高中就读,在大会上大放异彩,重新成为职业球员。

2011年大会得分王浅野拓磨在与包括J2京都等球队接触后,进入J1广岛三箭俱乐部。 2012年大会得分王小屋松知哉尚未高中毕业已被J1名古屋俱乐部内定录取。

赞助商[编辑]

赞助商将向全国大会优胜队伍增上“协赞社奖杯”和其他各种奖品,场内广告牌和电视转播时段将插入赞助商广告

帝人株式会社

日本化纤领域大牌企业。多年来的老牌赞助商。进入决赛阶段的队伍、均可获得PUMA公司以帝人株式会社提供的材料制造的奖杯一尊。

TOYOTA (2011年起参加)

PUMA (取代NIKE参加)

Coca-Cola 第85届大会改起以旗下运动饮料AQUARIUS名义参加。此前习惯上以Coca-Cola母品牌名义参加。大会使用的饮料均为Coca-Cola赞助,包括茶饮料、运动饮料、纯净水等。

meiji:(自明治制果时代开始)

fuji Xerox(旧FUJI XEROX) (1970年起参加) (日立制作所、SANYO等企业曾赞助本大会,后逐渐退出)

使用会場[编辑]

在首都圈一都三县范围内,本届大会通常会使用多个球场(9个左右)。因为与其他比赛撞期、或场馆维修、草坪维护等原因,场馆时常有所调整。下面是2013年度大赛使用的赛场。

赛果(自比赛创办起)[编辑]

年度 决赛 准决赛淘汰队伍(本大会未设置季军争夺战)
冠军校 結果 亚军校
日本足球优胜大会
1 1917年 御影師範 兵庫 1 - 0 明星商 大阪 神戸一中 兵庫 姫路師範 兵庫
2 1918年 御影師範 兵庫 5 - 1 明星商 大阪 姫路師範 兵庫 奈良師範 奈良
3 1919年 御影師範 兵庫 4 - 1 姫路師範 兵庫 神戸一中 兵庫 関学高等 兵庫
4 1920年 御影師範 兵庫 3 - 0 姫路師範 兵庫 明星商 大阪 関学高等 兵庫
5 1921年 御影師範 兵庫 0 - 0
3 - 0 R
神戸一中 兵庫 京都師範 京都 関学高等 兵庫
6 1922年 御影師範 兵庫 4 - 0 姫路師範 兵庫 神戸一中 兵庫 桃山中 大阪
7 1923年 御影師範 兵庫 5 - 1 京都師範 京都 神戸商 兵庫 神戸一中 兵庫
8 1924年 神戸一中 兵庫 3 - 0 御影師範 兵庫 京都師範 京都 池田師範 大阪
全国中等学校蹴球選手権大会
9 1925年 御影師範 兵庫 1 - 0 広島一中 広島 京都師範 京都 暁星中 東京
1926年 (大正天皇过世造成比赛暂停举办)
10 1927年 崇实 朝鮮 6 - 1 広島一中 広島 東京高師付中 東京 都島工 大阪
11 1928年 御影師範 兵庫 6 - 5 aet 平壌高普 朝鮮 青山師範 東京 明星商 大阪
12 1929年 神戸一中 兵庫 3 - 0 広島師範 広島 市岡中 大阪 東京高師付中 東京
13 1930年 御影師範 兵庫 3 - 2 広島一中 広島 青山師範 東京 堺中 大阪
14 1931年 御影師範 兵庫 6 - 1 愛知一師範 愛知 京都師範 京都 広島一中 広島
15 1932年 神戸一中 兵庫 2 - 1 青山師範 東京 愛知一師範 愛知 京都師範 京都
16 1933年 岐阜師範 岐阜 8 - 4 aet 明星商 大阪 御影師範 兵庫 京都師範 京都
臨時
大会
1934年 神戸一中 兵庫 5 - 3 明星商 大阪 御影師範 兵庫 広島一中 広島
17 1935年 神戸一中 兵庫 2 - 1 天王寺師範 大阪 刈谷中 愛知 富山師範 富山
18 1936年 広島一中 広島 5 - 3 韮崎中 山梨 海星中 長崎 埼玉師範 埼玉
19 1937年 埼玉師範 埼玉 6 - 2 神戸一中 兵庫 明星商 大阪 豊島師範 東京
20 1938年 神戸一中 兵庫 5 - 0 滋賀師範 滋賀 崇仁商 朝鮮 広島一中 広島
21 1939年 広島一中 広島 3 - 0 聖峰中 京都 札幌師範 北海道 湘南中 神奈川
22 1940年 普成中 朝鮮 4 - 0 神戸三中 兵庫 明星商 大阪 滋賀師範 滋賀
23 1941年 (中止)
24 1942年 (中止)
(1943年度至1945年度因太平洋战争而被迫中断)
25[1] 1946年 神戸一中 兵庫 2 - 1 神戸三中 兵庫 堺中 大阪 和歌山中 和歌山
26 1947年 広島高師付中 広島 7 - 1 尼崎中 兵庫 甲府中 山梨 水戸工 茨城
全国高等学校蹴球選手権大会
27 1948年 鯉城 広島 2 - 0 上野北 三重 池田 大阪 山田 福岡
28 1949年 池田 大阪 2 - 0 宇都宮 栃木 刈谷 愛知 山口東 山口
29 1950年 宇都宮 栃木 4 - 0 小田原 神奈川 岸和田 大阪 高知農 高知
30 1951年 浦和 埼玉 1 - 0 三国丘 大阪 長田 兵庫 真岡 栃木
31 1952年 修道 広島 2 - 1 aet 韮崎 山梨 上野 三重 刈谷 愛知
32 1953年 東千田
岸和田
広島
大阪
1 - 1 aet (両校優勝) 宇都宮工 栃木 韮崎 山梨
33 1954年 浦和 埼玉 5 - 2 刈谷 愛知 都立朝鮮人高 東京 熊本工 熊本
34 1955年 浦和 埼玉 4 - 1 秋田商 秋田 韮崎 山梨 宇都宮工 栃木
35 1956年 浦和西 埼玉 3 - 2 日立第一 茨城 仙台育英 宮城 藤枝東 静岡
36 1957年 秋田商 秋田 4 - 2 aet 刈谷 愛知 浦和西 埼玉 明星 大阪
37 1958年 山城 京都 2 - 1 広島大付 広島 東京教大付 東京 明星 大阪
38 1959年 浦和市立 埼玉 1 - 0 明星 大阪 神戸 兵庫 藤枝東 静岡
39 1960年 浦和市立 埼玉 4 - 0 遠野 岩手 藤枝東 静岡 秋田商 秋田
40 1961年 修道 広島 2 - 0 山城 京都 宮城工 宮城 関西学院 兵庫
41 1962年 藤枝東 静岡 1 - 0 浦和市立 埼玉 明星 大阪 広島大付 広島
42 1963年 藤枝東 静岡 2 - 0 aet 明星 大阪 豊田西 愛知 浦和市立 埼玉
43 1964年 浦和市立 埼玉 3 - 1 宇都宮学園 栃木 仙台育英 宮城 鎌倉学園 神奈川
44 1965年 習志野
明星
千葉
大阪
0 - 0 aet (両校優勝) 京都商 京都 新島学園 群馬
全国高等学校足球选手权大会
年度 决赛 季军争夺战
冠军 結果 亚军 季军 結果 4第四名
45 1966年 藤枝東
秋田商
静岡
秋田
0 - 0 aet (両校優勝) 浦和市立 埼玉 3 - 1 aet 神戸 兵庫
46 1967年 洛北
山陽
京都
広島
0 - 0 aet (両校優勝) 習志野 千葉 3 - 1 韮崎 山梨
47 1968年 初芝 大阪 1 - 0 山陽 広島 広島工 広島 1 - 0 遠野 岩手
48 1969年 浦和南 埼玉 1 - 0 初芝 大阪 広島市商 広島 1 - 0 韮崎 山梨
49 1970年 藤枝東 静岡 3 - 1 浜名 静岡 浦和南 埼玉 3 - 0 初芝 大阪
50 1971年 習志野 千葉 2 - 0 壬生川工 愛媛 帝京 東京 3 - 0 清水市商 静岡
51 1972年 浦和市立 埼玉 2 - 1 aet 藤枝東 静岡 帝京
関西大倉
東京
大阪
1 - 1 aet (両校3位)
52 1973年 北陽 大阪 2 - 1 藤枝東 静岡 相模工大付 神奈川 6 - 0 四日市中央工 三重
53 1974年 帝京 東京 3 - 1 清水東 静岡 児玉
相模工大付
埼玉
神奈川
0 - 0 (両校3位)
年度 決賽 準決賽淘汰校(無季军争夺战) 进球王
冠军 結果 亚军 選手名 所属队伍 进球数
54 1975年 浦和南 埼玉 2 - 1 静岡工 静岡 愛知 愛知 広島工 広島
55 1976年 浦和南 埼玉 5 - 4 静岡学園 静岡 帝京 東京 八幡浜工 愛媛 有ヶ谷二郎 静岡学園 8
56 1977年 帝京 東京 5 - 0 四日市中央工 三重 北陽 大阪 浦和南 埼玉 伊藤直司 四日市中央工 7
57 1978年 古河第一 茨城 2 - 1 室蘭大谷 北海道 八千代 千葉 本郷 東京 高田敏 八千代 4
58 1979年 帝京 東京 4 - 0 韮崎 山梨 水戸商 茨城 愛知 愛知 川添孝一 帝京 5
59 1980年 古河第一 茨城 2 - 1 清水東 静岡 韮崎 山梨 岡崎城西 愛知 大野克人
安藤達矢
湊邦三
古河第一
浦和南
御影工
4
60 1981年 武南 埼玉 2 - 0 韮崎 山梨 古河第一 茨城 清水市商 静岡 谷中治 帝京 5
61 1982年 清水東 静岡 4 - 1 韮崎 山梨 帝京 東京 守山 滋賀 青島秀幸 清水東 8
62 1983年 帝京 東京 1 - 0 清水東 静岡 韮崎 山梨 四日市中央工 三重 武田修宏 清水東 5
63 1984年 帝京
島原商
東京
長崎
1 - 1 aet (両校優勝) 武南 埼玉 藤枝東 静岡 松山博明 山城 5
64 1985年 清水市商 静岡 2 - 0 四日市中央工 三重 宇都宮学園 栃木 秋田商 秋田 黒崎久志 宇都宮学園 5
65 1986年 東海大第一 静岡 2 - 0 国見 長崎 秋田商 秋田 室蘭大谷 北海道 A.サントス 東海大第一 5
66 1987年 国見 長崎 1 - 0 東海大第一 静岡 四日市中央工 三重 市立船橋 千葉 平泽政辉 東海大第一 7
67 1988年 清水市商 静岡 1 - 0 市立船橋 千葉 前橋商 群馬 暁星 東京 桑原賢次
中村聖之
市立船橋
前橋商
4
68 1989年 南宇和 愛媛 2 - 1 武南 埼玉 前橋商 群馬 国見 長崎 西田吉洋 南宇和 6
69 1990年 国見 長崎 1 - 0 aet 鹿儿岛实 鹿児島 東海大第五 福岡 武南 埼玉 浜田祥裕
中園忠和
東海大第五
武南
5
70 1991年 四日市中央工
帝京
三重
東京
2 - 2 aet (両校優勝) 国見 長崎 市立船橋 千葉 松波正信 帝京 7
71 1992年 国見 長崎 2 - 0 山城 京都 武南 埼玉 習志野 千葉 江原淳史 武南 8
72 1993年 清水市商 静岡 2 - 1 国見 長崎 鹿儿岛实 鹿児島 東福岡 福岡 野見山秀樹 鹿儿岛实 5
73 1994年 市立船橋 千葉 5 - 0 帝京 東京 奈良育英 奈良 守山北 滋賀 森崎嘉之 市立船橋 8
74 1995年 静岡学園
鹿儿岛实
静岡
鹿児島
2 - 2 aet (両校優勝) 東福岡 福岡 初芝橋本 和歌山 吉原宏太 初芝橋本 7
75 1996年 市立船橋 千葉 2 - 1 桐光学園 神奈川 德島商 德島 静岡学園 静岡 北嶋秀朗
日下亮
市立船橋
市立船橋
6
76 1997年 東福岡 福岡 2 - 1 帝京 東京 丸岡 福井 藤枝東 静岡 金古聖司
河村優
東福岡
藤枝東
5
77 1998年 東福岡 福岡 4 - 2 帝京 東京 滝川第二 兵庫 前橋育英 群馬 林丈統 滝川第二 8
78 1999年 市立船橋 千葉 2 - 0 鹿儿岛实 鹿児島 前橋育英 群馬 富山第一 富山 石黒智久 富山第一 9
79 2000年 国見 長崎 3 - 0 草津東 滋賀 富山第一 富山 青森山田 青森 大久保嘉人 国見 8
80 2001年 国見 長崎 3 - 1 岐阜工 岐阜 鹿儿岛实 鹿児島 前橋育英 群馬 柴崎晃誠
片桐淳至
国見
岐阜工
6
81 2002年 市立船橋 千葉 1 - 0 国見 長崎 滝川第二 兵庫 桐蔭学園 神奈川 平山相太 国見 7
82 2003年 国見 長崎 6 - 0 筑陽学園 福岡 滝川第二 兵庫 鹿儿岛实 鹿児島 平山相太 国見 9
83 2004年 鹿儿岛实 鹿児島 0 - 0 aet
(PK 4 - 2)
市立船橋 千葉 国見 長崎 星稜 石川 山下真太郎
糠谷祐真
福士德文
鹿儿岛实
前橋商
盛岡商
4
84 2005年 野洲 滋賀 2 - 1 aet 鹿儿岛实 鹿児島 多多良学園 山口 遠野 岩手 迫田亮介 鹿儿岛实 5
85 2006年 盛岡商 岩手 2 - 1 作陽 岡山 八千代 千葉 神村学園 鹿児島 小室俊之 作陽 4
86 2007年 流経大柏 千葉 4 - 0 藤枝東 静岡 津工 三重 高川学園 山口 大前元纪 流経大柏 7
87 2008年 広島皆实 広島 3 - 2 鹿児島城西 鹿児島 鹿島学園 茨城 前橋育英 群馬 大迫勇也 鹿児島城西 10
88 2009年 山梨学院大付 山梨 1 - 0 青森山田 青森 矢板中央 栃木 関大第一 大阪 山本大貴 ルーテル学院 5
89 2010年 滝川第二 兵庫 5 - 3 久御山 京都 立正大淞南 島根 流経大柏 千葉 樋口寛規 滝川第二 8
90 2011年 市立船橋 千葉 2 - 1 aet 四日市中央工 三重 大分 大分 尚志 福島 浅野拓磨 四日市中央工 7
91 2012年 鵬翔 宮崎 2 - 2 aet
(PK 5 - 3)
京都橘 京都 星稜 石川 桐光学園 神奈川 小屋松知哉
仙頭啓矢
京都橘
京都橘
5
92 2013年 富山第一 富山 3 - 2 aet 星稜 石川 四日市中央工 三重 京都橘 京都 渡辺仁史朗
長谷川覚之
富山第一
神戸弘陵
4
93 2014年 星稜 石川 4 - 2 aet 前橋育英 群馬 日大藤沢 神奈川 流経大柏 千葉 大田賢生
高沢優也
田場ディエゴ
中村恒貴
河野翔太
君垣隆義
坂本和雅
星稜
流経大柏
日大藤沢
日大藤沢
日章学園
米子北
聖和学園
3

会歌[编辑]

「ふり向くな君は美しい」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし),常与下面的主题曲一起使用。原为1976年大会主题曲,因歌颂败者的奋斗而备受喜爱,最终成为大会歌。

主題曲[编辑]

  • 1994年度: Melodies & Memories / TUBE
  • 1995年度: 風になって / TOKIO
  • 1996年度: この地球が果てるまで / 佳苗
  • 1997年度: sparkle / 奧居香
  • 1998年度: 祈り / CURIO
  • 1999年度: Sign of Love / S.E.S
  • 2000年度: 約束 / 中武佳奈子
  • 2001年度: Yourself / Dream
  • 2002年度: 理由なきNew Days / SOPHIA
  • 2003年度: Golden Age 〜黄金世代〜 / The Gospellers
  • 2004年度: 夢の場所へ / w-inds.
  • 2005年度: Starting Line / 可苦可樂
  • 2006年度: Start to 0(Love) / 絢香
  • 2007年度: Remember / RIP SLYME & MONGOL800
  • 2008年度: 心花盛開 / 生物股長
  • 2009年度: 明日へ / FUNKY MONKEY BABYS
  • 2010年度: キミノトモダチ / WEAVER
  • 2011年度: Message / NAOTO INTIRAYMI
  • 2012年度: ホイッスル 〜君と過ごした日々〜 / miwa
  • 2013年度: 我们的故事/我们是故事 / GReeeeN
  • 2014年度: 瞳 / 大原櫻子
  • 2015年度: はじまり / BLUE ENCOUNT

應援隊長[编辑]

應援經理[编辑]

注释[编辑]

  1. ^ 于1946年8月在关西地区以邀请赛的方式举行,仅限关西队伍参赛。(参见高校サッカーの歴史 - 日本电视台网站、『高校サッカ-60年史』(高中足球60年史)全国高等学校体育連盟足球部、1983年4月、講談社出版、巻末附有全国高等学校選手権大会上位校及全国大会出場校的表格)。

外部連結[编辑]