山根信成

维基百科,自由的百科全书
跳到导航 跳到搜索
日語寫法
日語原文 山根 信成
假名 やまね のぶなり
平文式罗马字 Yamane Nobunari

山根 信成(1851年(嘉永3年12月) - 1895年(明治28年)10月2日)為日本陸軍軍人。最終階級為陸軍少將

經歷[编辑]

山口縣出身。明治維新後,進入陸軍。1881年(明治14年)2月、擔任步兵第12連隊長。1884年(明治17年)10月、晉升步兵大佐

1886年(明治19年)5月、就任大阪鎮台參謀。1888年(明治21年)5月、異動為第4師團參謀長。1890年(明治23年)9月、進級陸軍少將,就任步兵第7旅團長。1894年(明治27年)11月、擔任近衛步兵第2旅團長,甲午战争後被派遣至台灣參加乙未戰爭。翌年10月在台病死。

1895年(明治28年)10月1日、依其功績,其子山根一貫(陸軍少將、侍從武官)被授予男爵爵位,列為華族

親族[编辑]

參考文獻[编辑]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。