萤之光

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蛍の光

萤之光》(日语:蛍の光ほたるのひかり Hotaru no Hikari)是改编自苏格兰民谣《友谊地久天长》(Auld Lang Syne)的日本歌曲,作词者是稻垣千颖

歌名《萤之光》,语出中国成语“囊萤映雪”(日语:蛍雪の功,けいせつのこう)。“囊萤”是指晋代车胤少时家贫,捕捉萤火虫照明读书的故事;“映雪”是指晋代孙康冬天利用雪的反光读书的故事;两则故事用以形容苦学不倦。


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 ほ た る の ひ か ー り ま ど の ゆ ー き
 ふ み よ む つ き ー ひ か さ ね つ ー ゝ
 い つ し か と し ー も す ぎ の と ー を
 あ け て ぞ け さ ー は わ か れ ゆ ー く
}
>>
}

概要[编辑]

明治14年(1881年)成为寻常小学校的唱歌教材,明治28年(1895年)日本领台后也成为台湾初等教育的唱歌教材。

后在日本只唱第1、2段,因第3、4段歌词的爱国主义内容而不再教唱。战后在台湾则从萤之光,改为相同曲调、中文歌词的“骊歌”。

歌词[编辑]

原版[编辑]

明治14年(1881年)刊载于〈小学唱歌集初编〉的歌词如下。

日文歌词 日语读法 中译可演唱版本(仅前二段)
1 蛍の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。
ほたるのひかり、まどのゆき、
ふみよむつきひ、かさねつゝ、
いつしかとしも、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。
夏月囊萤,微光书明 冬日寒窗映雪

饱览卷卷,日日月月 总感绵延不绝

光阴荏苒,不觉不知 恍悟白驹过隙

终至今日,将开杉门 去与同窗话别

2 止まるも行くも、限りとて、
互に思ふ、千万の、
心の端を、一言に、
幸くと許り、歌ふなり。
とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろづの、
こゝろのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたふなり。
天涯比邻,海内知己 一别劳燕分飞

彼此相惜,千万相思 不舍深情厚谊

百感交集,难以分释 我心化作此曲

且在今日,诸君共祈 只愿平安顺利

3 筑紫の極み、陸の奥、
海山遠く、隔つとも、
その真心は、隔て無く、
一つに尽くせ、国の為。
つくしのきわみ、みちのおく、
うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。
4 千島の奥も、沖繩も、
八洲の内の、護りなり、
至らん国に、勲しく、
努めよ我が兄、恙無く。
ちしまのおくも、おきなはも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさおしく、
つとめよわがせ、つゝがなく。

改编[编辑]

第4段歌词在日本领土扩张后,文部省做过以下的修改:

  • 千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期的版本)
  • 千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり桦太千岛交换条约琉球处分后)
  • 千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり日清战争后)
  • 台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり日俄战争后)

应用[编辑]

  • 毕业典礼。
  • NHK红白歌唱大赛》节目最后的合唱第1段。
  • 日本职棒阪神虎球迷在对方选手退场时合唱第1段。
  • 公共设施、商业设施在开放时间、营业时间即将结束时播放。

相关条目[编辑]

外部链接[编辑]