滿洲靈廟
滿洲靈廟 | |
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基本資訊 | |
國家 | 滿洲國 |
位置 | 滿洲國奉天市八幡町6丁目 今中國遼寧省瀋陽市皇姑區岐山中路11號 |
座標 | 41°49′11.1″N 123°25′6.9″E / 41.819750°N 123.418583°E |
宗教 | 日本佛教 |
宗派 | 日蓮宗 |
建築詳情 | |
開山時間 | 康德3年(1936年) |
廢寺時間 | 康德12年(1945年) |
地圖 | |
日式仿唐建築 | |
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瀋陽市文物保護單位 | |
地址 | 皇姑區岐山中路11號遼寧省公安廳家屬宿舍院內 |
分類 | 近現代重要遺蹟及代表性建築 |
時代 | 1936年 |
編號 | 第3批第51號 |
認定時間 | 2008年10月27日 |
滿洲靈廟是一座位於滿洲國奉天市的日蓮宗寺廟。它的建設始於1934年(康德元年)[1],完成於1938年(康德5年)[2][1][3],祭祀為滿洲國服務而戰死或病死的人。[4][5]當時的地址為奉天市八幡町6丁目[4],現地址為瀋陽市皇姑區岐山中路11號[6]。
至1938年,建成的建築有日光殿(東殿)與日本僧堂。[3][2]日本戰敗後,該寺廟輾轉被多個單位使用,現存建築為東殿[2],現在所在場地被出租使用,保護狀況較差[7]。
歷史
[編輯]1932年,日本關東軍控制了滿洲地區,以清朝末代皇帝溥儀為國家元首,建立了滿洲國。
1933年,前日本陸軍軍官、日蓮宗僧人西岡大元發起倡議建設一座寺院,以彰顯東亞精神運動。[4]該提議獲得滿洲國政府支持[8],獲得政府撥給的土地約6萬平方米[4],以及一些來自於附近陵墓的建築材料[9]。滿洲靈廟奉贊會於奉天建立,在日本大阪設有分會。[5]奉贊會的主要成員有滿洲國重要人物鄭孝胥、張景惠、謝介石和日本陸軍中將楠山又助(濱面又助)、小磯國昭、海軍中將小林省三郎以及西岡大元。[5]大阪分會曾經在日本發售明信片以募集資金。[10]
1934年9月,西岡大元主持動工儀式。[1]至1938年12月,靈廟日光殿(東殿)與日本僧堂落成。[3]
1945年日本戰敗,原本有計劃建筑西大殿,當時僅完成地基。[6]日本人撤離,寺廟空置。此後幾年間寺廟建築輾轉被福利院、瀋陽孤兒小學、讀書會和道德會、民德小學等單位使用。[2]
1950年,中國共產黨瀋陽市皇姑區區委曾在此地辦公。5月底,區委遷出,改為民盟東北總支部。民盟遷入後,將大殿作為禮堂使用,地下室作為伙房。原僧堂作為辦公室。[2]
1954年,東北大區黨政機構撤銷,民盟東北總支部也隨之解散。此地交由民盟遼寧省委員會管理。同年,民盟與遼寧省公安廳對換,遼寧省公安廳接收此地。[2]
1984年起,此地為遼寧省公安廳的老幹部活動中心所有。2007年,老幹部活動中心搬出,此地作為倉庫閒置幾年後,出租給他人使用。[7]
建築
[編輯]依據日本日蓮宗文獻記載,建築風格融合了日本、滿蒙的風格[4],但實際上非常接近當地的寺廟建築風格,日本風格並不明顯[6]。
現存大殿高約20米[11],原本為金黃色琉璃瓦頂,現已改為翠綠色。大殿底座長30米,寬23米,漢白玉欄杆,殿身周圍有22根大紅漆柱。殿內北角有樓梯通往地下室,地下室高約3米,有多個小隔間。僧堂有房間59間。[2]
供奉人物
[編輯]滿洲靈廟供奉為滿洲國而戰死或病死的人物[5],包括日本人[5]和中國人[6],大多並非名人[6]。
當時在春秋兩季會有學生被組織到寺廟參加祭祀活動。[7]
參考文獻
[編輯]- ^ 1.0 1.1 1.2 近代日蓮宗年表編集委員會. 近代日蓮宗年表. 同朋舎. 1981-01. ISBN 978-4810402414 (日語).
昭和9年9月9日 ・・満洲霊廟地鎮式を修す。昭和13年12月25日 ・・開教師西岡大元 日満殉國霊追悼のため奉天に日光寺を建立す。
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 宋曉秋. 日本帝国主义侵华证罪(原文如此)“满洲灵庙”. 皇姑文史資料(瀋陽出登字第520號) (政協瀋陽市皇姑區文史委員會).
- ^ 3.0 3.1 3.2 影山 尭雄. 新編日蓮宗年表. 日蓮宗新聞社. 1989-01. ISBN 978-4890451012 (日語).
昭和13年10月24日・・ 身延山は奉天の満洲霊廟(日満蒙三國英霊合祀所)日光殿日本僧堂の本尊として身延釈迦堂安置の釈尊像と七面山の鏡を奉じて法要を営み、これを満州に送る。昭和13年12月25日・・ 奉天の西岡大元は、満洲霊廟と日本僧堂との落成式を挙ぐ。
- ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 坂輪宣政. 日蓮宗の戦前大陸での布教について (PDF). (原始內容存檔 (PDF)於2018-03-07) (日語).
このように宗門で開教司監部の建設に苦心している一方で、元陸軍士官の日蓮宗僧侶西岡大元師は、奉天八幡町六丁目に「宗門に偏しないパンテオン」を建立しつつあった。一萬八千坪を「満國皇帝から無償で下賜」されて日満蒙三國風の寺院を一所に建立する、という內容であった。「東亜精神運動としての満州霊廟」の建設を目標としていた。軍との繋がりによるのであろう、広大な土地を無代で下賜され、材料もかっての陵墓由來のものを提供されて豪華な三種の寺院を建立していたのである。ここには神保管長も親教の際に訪問し、「その偉容に目を見はった」と表現している。新京の司監部寺院建立とは大きな違いである。西岡師の資金には、宗教を通じた宣撫工作の一環として仏教を利用ようとする軍の機密費か満鉄の援助もあったのかもしれない。ただし、付記すれば西岡師の工事は途中で資金が不足してしまい、宗門に援助を求めたり大阪で満州軽業師などによる募金活動をしたりしていたが、難渋することとなってしまっていたのである。
- ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 满洲灵庙建设纪念 第壹集. 滿洲靈廟奉贊會. (原始內容存檔於2017-11-20) (日語).
【 満州霊廟奉賛會 】名譽會長 前國務総理大臣 鄭孝將(鄭孝胥・ていこうしょ) 會長 國務総理大臣 張景恵 副會長 陸軍中將 楠山又助 理事長 日本駐在大使 謝介石 理事 陸軍中將 小磯國昭 理事 海軍中將 小林省三郎 常任理事 建立発起人 西岡大元
若し満州方面で戦病死、或いは殉難せられました御縁故の方が御座いましたら、御手數ながら左記へご法名又は俗名、死亡年月日、年齢等適當に御記入下さいませ。霊廟で朝夕ご供養させて戴きます。 大阪市天王寺區勝山通り2丁目38番地 満州霊廟絵葉書頒布會 大阪市天王寺區東平野町3丁目34番地 満州霊廟 総務部 - ^ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 沈阳满洲灵庙曾是靖国神社 供奉汉奸. 華商晨報. 2007-06-15 [2017-11-21]. (原始內容存檔於2015-05-15).
- ^ 7.0 7.1 7.2 “满洲灵庙”不能拆除的记忆. 遼寧日報. 2015-06-10. (原始內容存檔於2018-04-10).
- ^ 执政府内廷为. 滿洲國執政府內廷. 1933-11-17. (原始內容存檔於2017-11-20).
- ^ 矢田行蔵. 紀州出身軍人の功績 : 満蒙独立秘史. 興亜學社. 1936: 121-122. (原始內容存檔於2018-04-10) (日語).
- ^ 福島泰弘. 26・満州の名刹と風光・・満州霊廟建設記念・・絵葉書・・. (原始內容存檔於2017-11-17) (日語).
- ^ 沈阳曾有“靖国神社”. 華商晨報. 2007-06-14 [2017-11-21]. (原始內容存檔於2016-09-07).