梅原猛
外观
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梅原猛 | |
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出生 | 大日本帝国宫城县仙台市 | 1925年3月20日
逝世 | 2019年1月12日 日本京都府京都市 | (93岁)
国籍 | 日本 |
时代 | 20世纪哲学、21世纪哲学 |
地区 | 日本哲学 |
学派 | 京都学派、梅原日本学 |
主要领域 | 西洋哲学・哲学史、宗教哲学、宗教学、形而上学、存在主义、世界观、伦理学、日本佛教、神道・古神道、自然崇拝・泛灵论、历史、文明 |
著名思想 | 人间中心主义(西洋哲学)相关问题提起、人类哲学、草木国土悉皆成佛、植物的意志、梅原日本学、怨灵史观(怨灵) |
日语写法 | |
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日语原文 | 梅原 猛 |
假名 | うめはら たけし |
平文式罗马字 | Umehara Takeshi |
梅原猛(日语:梅原 猛/うめはら たけし Umehara Takeshi,1925年3月20日—2019年1月12日)是一名日本的哲学家,曾任教于龙谷大学、立命馆大学、京都市立艺术大学。1987年,任职国际日本文化研究中心首任所长。1998年,获授京都市名誉市民。1999年,获颁文化勋章。
生平
[编辑]1925年3月20日,梅原猛生于宫城县仙台市。1948年,毕业自京都大学文学部哲学科。历任龙谷大学文学部讲师、立命馆大学文学部讲师、助理教授、教授、京都市立艺术大学美术学部教授、校长。1986年,担任国际日本文化研究中心创设准备室室长,其后出任首届所长。1997年,任日本笔会会长。2011年,获邀为东日本大地震复兴构想会议特别顾问及名誉议长。
学术思想
[编辑]梅原猛出身哲学,亦有涉猎日本宗教、历史、文学及传统艺能等领域,其对日本文史哲学著作甚丰,有“梅原日本学”之称。曾为艺能界撰写《超级歌舞伎》、《超级能》等剧本。
略历
[编辑]学历
[编辑]职历
[编辑]- 1952年 - 龙谷大学文学部専任讲师。
- 1955年 - 立命馆大学文学部専任讲师。
- 1957年 - 立命馆大学文学部助教授。
- 1967年 - 立命馆大学文学部教授。
- 1970年 - 立命馆大学文学部教授辞职(大学纷争に当たり)。
- 1972年 - 京都市立艺术大学美术学部教授。
- 1974年 - 京都市立艺术大学校长。
- 1983年 - 京都市立艺术大学学长再选。
- 1986年 - 京都市立艺术大学名誉教授。
- 1986年 - 国际日本文化研究センター创设准备室长。
- 1987年5月 - 国际日本文化研究センター初代所长。
- 1995年5月 - 国际日本文化研究センター退任。国际日本文化研究センター顾问・名誉教授。
- 1997年 - 日本ペンクラブ会长。
- 1997年 - MIHO MUSEUM初代馆长。
- 2001年4月 - ものつくり大学初代総长。
- 2011年4月 - 东日本大震灾复兴构想会议特别顾问(名誉议长)。
役职
[编辑]- 财団法人屋久岛环境文化财団特别顾问
- 财団法人京都市国际交流协会理事
- 财団法人稲盛财団理事
- 社団法人日本広告写真家协会理事
- 财団法人国际日本文化研究交流财団理事
- 财団法人国立京都国际会馆理事
- 财団法人ハウジングアンドコミュニティ财団评议员
- 财団法人地球环境戦略研究机関顾问
- 特定非営利活动法人冲縄映像文化研究所顾问
- 学校法人立命馆立命馆西园寺塾最高顾问
获奖经历
[编辑]- 1972年 - ‘隠された十字架 法隆寺论’で第26回毎日出版文化赏。
- 1974年 - ‘水底の歌 柿本人麿论’で第1回大佛次郎赏。
- 1991年 - “国际日本文化研究センターの创设と多年にわたる独创的な日本研究”に対して第44回中日文化赏[1]。
- 1992年 - 文化功労者顕彰。
- 1998年 - 京都市名誉市民顕彰。
- 1999年 - 文化勋章受章。
参考资料
[编辑]- ^ 中日文化賞:第41回-第50回受賞者. 中日新闻. [2009-10-26]. (原始内容存档于2010-03-12).