最高裁判所裁判官
日语写法 | |
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日语原文 | 最高裁判所裁判官 |
假名 | さいこうさいばんしょさいばんかん |
平文式罗马字 | Saikō Saibansho Saibankan |
最高裁判所裁判官(日语:最高裁判所裁判官/さいこうさいばんしょさいばんかん Saikō saibansho saibankan */?),是日本最高裁判所的裁判官(法官)。其中有最高裁判所长官1名和最高裁判所判事14名(日本《裁判所法》第5条第1项)。
任命
[编辑]十五名最高裁判所裁判官中,仅有最高裁判所长官是根据内阁的指名并由天皇任命的。其余十四名最高裁判所判事的任命均由内阁进行,并由天皇进行认证,即所谓的认证官的一种。此外,关于最高裁判所裁判官的15名定额,有一种观点认为,其参考了1947年最高裁设立时内阁阁僚的定额也为15人这一规定[1]。
根据日本法律,最高裁判所裁判官需从“见识高远、具备法律素养且年满40周岁”的人选中任命。但事实上,目前所有裁判官在获任命时均已超过50岁。1964年1月31日以后,全体裁判官都是从60岁以上的人选中选任的。裁判官的退休年龄为70岁。
最高裁判所裁判官在获任命之后首次举行的众议院议员总选举时,应当接受最高裁判所裁判官国民审查(国民审查)(《日本国宪法》第79条第2项)。
只要符合“见识高远、具备法律素养”这一条件[2],即使不具备法曹资格的人选也可以被任命为裁判官,但法律规定全体裁判官中至少应有10名以上具有法曹资格的裁判官(《裁判所法》第41条)。另外,如果有“根据其他法律规定不得被任命为一般的官吏”、“曾受禁锢以上刑罚者” [3]、“曾受弾劾裁判所之罢免判决者”等禁止性事由(《国民审查法》第35条)的,不得担任最高裁判所裁判官。
职业背景
[编辑]最高裁判所裁判官的人选,除了来自下级裁判所中担任过判事的法官以外,很多都从检察官・律师(辩护士)・行政官员・学者(法学教授等)中选任。其原因在于,最高裁判所在对法律适用和解释的过程中,需要反映各种立场的法律专家的见解。
从1970年代开始,15名最高裁判所裁判官的职业背景大致如下:裁判官6人、律师4人、检察官2人、行政官员2人、法学家1人。此外,法院在考虑各个小法庭的构成人选时,也尽量不使同种背景的人集中在一起。
从惯例来讲,某位裁判官离任后,往往会从其相同的职业背景中挑选其继任。如没有合适的人选,也可能暂时选任其他职业的人选,从而导致职业背景的比例发生些许变动。
“提供候选者名单时,法官、律师和检察官出身的人选一般由最高裁长官提供,而行政官僚和学者的候选名单在原则上由内阁官房提供,最终都在听取内阁总理大臣的意见后通过阁议决定。”关于候选者的选任过程是完全不公开的,普通国民无法知晓其过程[4]。
- 行政官员类别
- 内阁法制局长官或外务省条约局长被选任的几率较高[6][7]。
- 虽有数人不具备法曹资格,但都通过了国家公务员采用I种考试或外交官考试等难度较高的考试[6]。
- 1994年以后,厚生省干部或劳动省干部被选任的情况也有出现。近年来,往往由一名外交官背景和一名其他行政官员背景的人选组成。
- 该类别名额为2人[6]。
职权
[编辑]最高裁判所裁判官包括长官在内,构成了最高裁判所的大小合议庭,行使宪法赋予的司法权。在审判方面,最高裁判所长官与其他十四名判事的地位是完全平等的,权限也没有区别。
在司法行政方面,长官及判事在最高裁判所的裁判官会议上进行决议,行使司法行政权和最高裁判所规则的制定权。
罢免
[编辑]日本国宪法保障裁判官的独立地位。除了退休和死亡之外,非本人意愿的罢免仅限于以下几种情况。同时,具有任命权的天皇、具有提名权的内阁以及最高裁判所首长的最高裁判所长官都不能罢免任何一位法官。
待遇
[编辑]根据关于裁判官的报酬等的法律的规定,最高裁判所长官的薪酬与内阁总理大臣相同,而最高裁判所判事的薪酬也与关于特别职职员的薪酬的法律中规定的国务大臣、会计检查院长、人事院总裁的薪酬相同。此外,也与检事总长的薪资相同。宪法规定,法官的薪酬在其任期内不得减少。
此外,每位法官都配有一名秘书官,协助其处理机密事务。
根据日本辩护士法第6条的规定,不具有法曹资格的人担任最高裁判所裁判官后,自动取得成为律师的资格。这一律师资格不因法官在国民审查中被罢免而失效。
现任最高裁判所裁判官
[编辑]2021年7月9日时,日本的最高裁判所裁判官名单如下(根据被任命先后顺序排列)。裁判官的预定退休日为满70周岁的生日当天的前一天(最高裁判所裁判官的退休年龄为70周岁,因此其任期最长至70周岁生日的前一天)。不信任率是指,在最高裁判所裁判官国民审查中,有效票数中“同意罢免的投票”(×标记)的比例。
姓名 | 任命年月日 | 预定退休日 | 学历 | 曾任职务等 | 任命内阁 | 所在小法庭 | 不信任率 |
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山口厚 | 2017年2月6日 | 2023年11月5日 | 东京大学法学部毕业 | 早稻田大学大学院法务研究科教授(刑法) 第一东京律师会所属律师 |
第3次安倍内阁 (2改) | 第一小法庭 | 8.62%(2017年) |
户仓三郎 (长官) |
2017年3月14日 | 2024年8月11日 | 一桥大学法学部毕业 | 东京高等裁判所长官 | 第3次安倍内阁 (2改) | 第三小法庭 | 8.53%(2017年) |
深山卓也 | 2018年1月9日 | 2024年9月1日 | 东京大学法学部毕业 | 东京高等裁判所长官 | 第4次安倍内阁 | 第一小法庭 | 7.85%(2021年) |
三浦守 | 2018年2月26日 | 2026年10月22日 | 东京大学法学部毕业 | 大阪高等检察厅检事长 | 第4次安倍内阁 | 第二小法庭 | 6.71%(2021年) |
草野耕一 | 2019年2月13日 | 2025年3月21日 | 东京大学法学部毕业 | 第一东京律师会所属律师 | 第4次安倍内阁 (1改) | 第二小法庭 | 6.73%(2021年) |
宇贺克也 | 2019年3月20日 | 2025年7月20日 | 东京大学法学部毕业 | 东京大学大学院法学政治学研究科教授(行政法) | 第4次安倍内阁 (1改) | 第三小法庭 | 6.88%(2021年) |
林道晴 | 2019年9月2日 | 2027年8月30日 | 东京大学法学部毕业 | 东京高等裁判所长官 | 第4次安倍内阁 (1改) | 第三小法庭 | 7.72%(2021年) |
冈村和美 | 2019年10月2日 | 2027年12月22日 | 早稻田大学法学部毕业 | 最高检察厅检事 法务省人权拥护局长 消费者厅长官 |
第4次安倍内阁 (2改) | 第二小法庭 | 7.29%(2021年) |
长岭安政 | 2021年2月8日 | 2024年4月15日 | 东京大学教养学部毕业 | 英国驻箚特命全权大使 | 菅义伟内阁 | 第三小法庭 | 7.23%(2021年) |
安浪亮介 | 2021年7月9日 | 2027年4月18日 | 东京大学法学部毕业 | 大阪高等裁判所长官 | 菅义伟内阁 | 第一小法庭 | 5.97%(2021年) |
渡邉惠理子 | 2021年7月9日 | 2028年12月26日 | 东北大学法学部毕业 | 第一东京律师会所属律师 | 菅义伟内阁 | 第三小法庭 | 6.11%(2021年) |
冈正晶 | 2021年9月3日 | 2026年2月1日 | 东京大学法学部毕业 | 第一东京律师会所属律师 | 菅义伟内阁 | 第一小法庭 | 6.24%(2021年) |
堺彻 | 2021年9月3日 | 2028年7月16日 | 东京大学法学部毕业 | 东京高等检察厅检事长 | 菅义伟内阁 | 第一小法庭 | 6.24%(2021年) |
今崎幸彦 | 2022年6月24日 | 2027年11月9日 | 京都大学法学部毕业 | 东京高等裁判所长官 | 第2次岸田内阁 | 第三小法庭 | 未审查 |
尾岛明 | 2022年7月4日 | 2028年8月31日 | 东京大学法学部毕业 | 大阪高等裁判所长官 | 第2次岸田内阁 | 第二小法庭 | 未审查 |
历任最高裁判所裁判官列表
[编辑]姓名 | 任命年月日 | 退休年月日 | 曾任职务等 | 任命内阁 | 备注 |
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三渊忠彦 | 1947年 (昭和22年)[8] |
8月4日1950年 (昭和25年) |
3月2日东京控诉院部长、庆应义塾大学讲师 | 片山内阁[9] | 首任长官 1947年(昭和22年)8月4日 - 1950年(昭和25年)3月2日 |
冢崎直义 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1951年 (昭和26年) |
2月14日东京辩护士会所属辩护士 | 片山内阁 | |
长谷川太一郎 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1951年 (昭和26年) |
11月30日第一东京辩护士会所属辩护士 | 片山内阁 | |
泽田竹治郎 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1952年 (昭和26年) |
8月1日行政裁判所长官 | 片山内阁 | |
霜山精一 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1954年 (昭和29年) |
10月14日大审院长、贵族院议员 | 片山内阁 | |
井上登 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1955年 (昭和30年) |
4月9日大审院部长 | 片山内阁 | |
栗山茂 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1956年 (昭和31年) |
10月5日外交官(驻比利时大使等) | 片山内阁 | |
真野毅 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1958年 (昭和33年) |
6月8日第二东京辩护士会所属辩护士、元同会会长 | 片山内阁 | |
庄野理一 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1948年 (昭和23年) |
6月28日东京辩护士会所属辩护士 | 片山内阁 | 在任期间11か月で史上最短 |
小谷胜重 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1960年 (昭和35年) |
12月23日大阪辩护士会所属辩护士 | 片山内阁 | |
岛保 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1961年 (昭和36年) |
8月24日大审院部长 | 片山内阁 | |
斋藤悠辅 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1962年 (昭和37年) |
5月20日大阪控诉院检事长 | 片山内阁 | |
藤田八郎 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1962年 (昭和37年) |
8月4日大阪控诉院长 | 片山内阁 | |
岩松三郎 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1956年 (昭和31年) |
11月10日福冈控诉院长 | 片山内阁 | |
河村又介 | 1947年 (昭和22年) |
8月4日1963年 (昭和38年) |
12月31日九州岛大学教授 | 片山内阁 | |
穗积重远 | 1949年 (昭和24年) |
2月26日1951年 (昭和26年) |
7月29日东京大学教授、东宫侍从长 | 第3次吉田内阁 | 民法学者。其父穂积陈重为日本民法的起草者之一。任期内去世。 |
田中耕太郎 | 1950年 (昭和25年)[8] |
3月3日1960年 (昭和35年) |
10月24日参议院议员、学习院大学教授 | 第3次吉田内阁[9] | 第 1950年(昭和25年)3月3日 - 1960年(昭和35年)10月24日 | 2任长官
谷村唯一郎 | 1951年 (昭和26年) |
4月12日1956年 (昭和31年) |
11月10日东京辩护士会所属辩护士 | 第3次吉田内阁(1改) | |
小林俊三 | 1951年 (昭和26年) |
10月5日1958年 (昭和33年) |
6月2日第二东京辩护士会所属辩护士、东京高等裁判所长官 | 第3次吉田内阁(2改) | |
本村善太郎 | 1952年 (昭和27年) |
1月21日1957年 (昭和32年) |
1月14日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第3次吉田内阁(3改) | |
入江俊郎 | 1952年 (昭和27年) |
8月30日1971年 (昭和46年) |
1月9日贵族院议员、众议院法制局长 | 第3次吉田内阁(3改) | 创造史上最年轻(51岁)和任期最久(18年以上)的最高裁法官等两项纪录 |
池田克 | 1954年 (昭和29年) |
11月2日1963年 (昭和38年) |
5月22日大审院次长检事、东京辩护士会所属辩护士 | 第5次吉田内阁 | |
垂水克己 | 1955年 (昭和30年) |
5月26日1963年 (昭和38年) |
11月14日东京高等裁判所长官 | 第2次鸠山一郎内阁 | |
河村大助 | 1956年 (昭和31年) |
11月22日1963年 (昭和38年) |
6月1日东京辩护士会所属辩护士 | 第3次鸠山一郎内阁 | |
下饭坂润夫 | 1956年 (昭和31年) |
11月22日1964年 (昭和39年) |
1月28日大阪高等裁判所长官 | 第3次鸠山一郎内阁 | |
奥野健一 | 1956年 (昭和31年) |
11月22日1968年 (昭和43年) |
11月17日仙台地方裁判所长、参议院法制局长 | 第3次鸠山一郎内阁 | |
高桥洁 | 1957年 (昭和32年) |
1月30日1961年 (昭和36年) |
12月29日第一东京辩护士会所属辩护士 | 石桥内阁 | 任期内去世。 |
高木常七 | 1958年 (昭和33年) |
6月28日1963年 (昭和38年) |
3月14日第二东京辩护士会所属辩护士、名古屋高等裁判所长官 | 第2次岸内阁 | |
石坂修一 | 1958年 (昭和33年) |
6月28日1965年 (昭和40年) |
9月13日大阪高等裁判所长官 | 第2次岸内阁 | |
横田喜三郎 | 1960年 (昭和35年)[8] |
10月25日1966年 (昭和41年) |
8月5日东京大学教授、外务省参与 | 第1次池田内阁[9] | 第 1960年(昭和35年)10月25日 - 1966年(昭和41年)8月5日 | 3任长官
山田作之助 | 1960年 (昭和35年) |
12月27日1966年 (昭和41年) |
4月21日神戸辩护士会所属辩护士 | 第2次池田内阁 | |
五鬼上坚盘 | 1961年 (昭和36年) |
8月26日1966年 (昭和41年) |
12月31日东京辩护士会所属辩护士、大阪高等裁判所长官 | 第2次池田内阁(1改) | |
横田正俊 | 1962年 (昭和37年) |
2月28日1969年 (昭和44年) |
1月10日东京高等裁判所长官 | 第2次池田内阁(1改) | 第4任长官 1966年(昭和41年)8月6日 - 1969年(昭和44年)1月10日 |
斋藤朔郎 | 1962年 (昭和37年) |
5月29日1964年 (昭和39年) |
8月9日大阪高等裁判所判事部総括、参议院法制局长 | 第2次池田内阁(1改) | 任期内去世。 |
草鹿浅之介 | 1962年 (昭和37年) |
8月12日1970年 (昭和45年) |
10月24日大阪高等检察庁检事长 | 第2次池田内阁(2改) | |
长部谨吾 | 1963年 (昭和38年) |
4月5日1971年 (昭和46年) |
3月31日次长检事 | 第2次池田内阁(2改) | |
石田和外 | 1963年 (昭和38年) |
6月6日1973年 (昭和48年) |
5月19日东京高等裁判所长官 | 第2次池田内阁(2改) | 第5任长官 1969年(昭和44年)1月11日 - 1973年(昭和48年)5月19日 |
城户芳彦 | 1963年 (昭和38年) |
6月6日1970年 (昭和45年) |
12月19日东京辩护士会所属辩护士、日本大学讲师 | 第2次池田内阁(2改) | |
柏原语六 | 1963年 (昭和38年) |
12月13日1967年 (昭和42年) |
9月19日东京辩护士会所属辩护士 | 第3次池田内阁 | |
田中二郎 | 1964年 (昭和39年) |
1月16日1973年 (昭和48年) |
3月31日东京大学教授 | 第3次池田内阁 | 行政法学者。尽管几乎所有的最高裁法官都服务至70岁届满为止,但田中在67岁时自动辞职。 |
松田二郎 | 1964年 (昭和39年) |
1月31日1970年 (昭和45年) |
7月29日大阪高等裁判所长官 | 第3次池田内阁 | |
岩田诚 | 1964年 (昭和39年) |
8月31日1972年 (昭和47年) |
11月25日东京高等裁判所判事部総括 | 第3次池田内阁(改) | |
下村三郎 | 1965年 (昭和40年) |
9月14日1973年 (昭和48年) |
1月1日东京高等裁判所长官 | 第1次佐藤内阁(1改) | |
色川幸太郎 | 1966年 (昭和41年) |
5月10日1973年 (昭和48年) |
1月29日大阪辩护士会所属辩护士 | 第1次佐藤内阁(1改) | |
大隅健一郎 | 1966年 (昭和41年) |
9月9日1974年 (昭和49年) |
10月1日京都大学教授 | 第1次佐藤内阁(2改) | 商法学者 |
松元正雄 | 1967年 (昭和42年) |
1月17日1971年 (昭和46年) |
12月5日第二东京辩护士会所属辩护士 | 第1次佐藤内阁(3改) | |
饭村义美 | 1967年 (昭和42年) |
9月20日1971年 (昭和46年) |
4月26日东京辩护士会所属辩护士 | 第2次佐藤内阁 | |
村上朝一 | 1968年 (昭和43年) |
11月19日1976年 (昭和51年) |
5月24日东京高等裁判所长官 | 第2次佐藤内阁(1改) | 第 1973年(昭和48年)5月21日 - 1976年(昭和51年)5月24日 | 6任长官
关根小乡 | 1969年 (昭和44年) |
1月17日1975年 (昭和50年) |
12月2日大阪高等裁判所长官 | 第2次佐藤内阁(2改) | |
藤林益三 | 1970年 (昭和45年) |
7月31日1977年 (昭和52年) |
8月25日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第3次佐藤内阁 | 第 1976年(昭和51年)5月25日 - 1977年(昭和52年)8月25日 | 7任长官
冈原昌男 | 1970年 (昭和45年) |
10月28日1979年 (昭和54年) |
3月31日大阪高等检察庁检事长 | 第3次佐藤内阁 | 第 1977年(昭和52年)8月26日 - 1979年(昭和54年)3月31日 | 8任长官
小川信雄 | 1970年 (昭和45年) |
12月22日1975年 (昭和50年) |
8月6日东京辩护士会所属辩护士 | 第3次佐藤内阁 | |
下田武三 | 1971年 (昭和46年) |
1月12日1977年 (昭和52年) |
4月2日外交官(驻美国大使等) | 第3次佐藤内阁 | 在尊属杀人被告事件(最高裁判所昭和48年4月4日大法庭判决)中,作为唯一发表反对意见的法官,认为规定尊属杀人应处死刑或无期徒刑的刑法第200条是符合宪法。 |
岸盛一 | 1971年 (昭和46年) |
4月2日1978年 (昭和53年) |
7月13日东京高等裁判所长官 | 第3次佐藤内阁 | |
天野武一 | 1971年 (昭和46年) |
5月21日1978年 (昭和53年) |
9月20日大阪高等检察庁检事长 | 第3次佐藤内阁 | |
坂本吉胜 | 1971年 (昭和46年) |
12月7日1976年 (昭和51年) |
3月26日第二东京辩护士会所属辩护士 | 第3次佐藤内阁(改) | |
岸上康夫 | 1972年 (昭和47年) |
11月28日1978年 (昭和53年) |
9月21日东京高等裁判所长官 | 第1次田中角荣内阁 | |
江里口清雄 | 1973年 (昭和48年) |
1月9日1980年 (昭和55年) |
3月19日福冈高等裁判所长官 | 第2次田中角荣内阁 | |
大冢喜一郎 | 1973年 (昭和48年) |
2月2日1980年 (昭和55年) |
2月4日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第2次田中角荣内阁 | |
高辻正己 | 1973年 (昭和48年) |
4月4日1980年 (昭和55年) |
1月18日内阁法制局长官 | 第2次田中角荣内阁 | |
吉田丰 | 1973年 (昭和48年) |
5月21日1979年 (昭和54年) |
2月28日大阪高等裁判所长官 | 第2次田中角荣内阁 | |
团藤重光 | 1974年 (昭和49年) |
10月4日1983年 (昭和58年) |
11月7日东京大学教授 | 第2次田中角荣内阁(1改) | 刑法学者。其主导刑法学上的“行为无价值论”。在最高裁任期内从之前否定共谋共同正犯的立场转变为予以肯定的立场。 |
本林让 | 1975年 (昭和50年) |
8月8日1979年 (昭和54年) |
3月30日东京辩护士会所属辩护士 | 三木内阁 | |
服部高显 | 1975年 (昭和50年) |
12月3日1982年 (昭和57年) |
9月30日大阪高等裁判所长官 | 三木内阁 | 第 1979年(昭和54年)4月2日 - 1982年(昭和57年)9月30日 | 9任长官
环昌一 | 1976年 (昭和51年) |
3月27日1982年 (昭和57年) |
4月11日第二东京辩护士会所属辩护士 | 三木内阁 | |
栗本一夫 | 1976年 (昭和51年) |
5月25日1982年 (昭和57年) |
5月26日名古屋高等裁判所长官 | 三木内阁 | |
藤崎万里 | 1977年 (昭和52年) |
4月5日1984年 (昭和59年) |
12月15日外交官(驻泰国大使等) | 福田赳夫内阁 | |
本山亨 | 1977年 (昭和52年) |
8月26日1982年 (昭和57年) |
8月10日名古屋辩护士会所属辩护士 | 福田赳夫内阁 | |
户田弘 | 1978年 (昭和53年) |
7月14日1980年 (昭和55年) |
3月25日东京高等裁判所长官 | 福田赳夫内阁(改) | 任期内去世。 |
中村治朗 | 1978年 (昭和53年) |
9月22日1984年 (昭和59年) |
2月19日东京高等裁判所判事部総括 | 福田赳夫内阁(改) | |
横井大三 | 1978年 (昭和53年) |
9月22日1984年 (昭和59年) |
6月10日名古屋高等检察庁检事长、专修大学教授、第一东京辩护士会所属辩护士 | 福田赳夫内阁(改) | |
木下忠良 | 1979年 (昭和54年) |
3月1日1986年 (昭和61年) |
1月14日大阪高等裁判所长官 | 第1次大平内阁 | |
冢本重赖 | 1979年 (昭和54年) |
4月2日1981年 (昭和56年) |
10月17日东京辩护士会所属辩护士、中央大学教授 | 第1次大平内阁 | |
盐野宜庆 | 1979年 (昭和54年) |
4月2日1985年 (昭和60年) |
5月22日东京高等检察庁检事长、第一东京辩护士会所属辩护士 | 第1次大平内阁 | |
伊藤正己 | 1980年 (昭和55年) |
1月19日1989年 (平成元年) |
9月20日东京大学教授 | 第2次大平内阁 | |
宫崎梧一 | 1980年 (昭和55年) |
2月6日1984年 (昭和59年) |
5月4日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第2次大平内阁 | |
寺田治郎 | 1980年 (昭和55年) |
3月22日1985年 (昭和60年) |
11月3日东京高等裁判所长官 | 第2次大平内阁 | 第10任长官 1982年(昭和57年)10月1日 - 1985年(昭和60年)11月3日 |
谷口正孝 | 1980年 (昭和55年) |
4月16日1987年 (昭和62年) |
1月27日东京地方裁判所长 | 第2次大平内阁 | |
大桥进 | 1981年 (昭和56年) |
11月2日1986年 (昭和61年) |
6月12日东京辩护士会所属辩护士 | 铃木善幸内阁 | |
木户口久治 | 1982年 (昭和57年) |
4月12日1986年 (昭和61年) |
1月8日第二东京辩护士会所属辩护士 | 铃木善幸内阁(改) | |
牧圭次 | 1982年 (昭和57年) |
5月28日1989年 (平成元年) |
11月24日名古屋高等裁判所长官 | 铃木善幸内阁(改) | |
和田诚一 | 1982年 (昭和57年) |
8月16日1986年 (昭和61年) |
4月23日大阪辩护士会所属辩护士 | 铃木善幸内阁(改) | 任期内去世。 |
安冈満彦 | 1982年 (昭和57年) |
10月1日1990年 (平成2年) |
5月4日大阪高等裁判所长官 | 铃木善幸内阁(改) | |
角田礼次郎 | 1983年 (昭和58年) |
11月8日1990年 (平成2年) |
12月3日内阁法制局长官 | 第1次中曽根内阁 | |
矢口洪一 | 1984年 (昭和59年) |
2月20日1990年 (平成2年) |
2月19日东京高等裁判所长官 | 第2次中曽根内阁 | 第11任长官 1985年(昭和60年)11月5日 - 1990年(平成2年)2月19日 |
岛谷六郎 | 1984年 (昭和59年) |
5月8日1990年 (平成2年) |
1月23日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第2次中曽根内阁 | |
长岛敦 | 1984年 (昭和59年) |
6月12日1988年 (昭和63年) |
3月16日名古屋高等检察庁检事长、东洋大学教授 | 第2次中曽根内阁 | |
高岛益郎 | 1984年 (昭和59年) |
12月17日1988年 (昭和63年) |
5月2日外交官(驻前苏联大使等) | 第2次中曽根内阁(1改) | 任期内去世。 |
藤岛昭 | 1985年 (昭和60年) |
5月23日1994年 (平成6年) |
1月1日次长检事 | 第2次中曽根内阁(1改) | |
大内恒夫 | 1985年 (昭和60年) |
11月5日1992年 (平成4年) |
3月23日东京高等裁判所长官 | 第2次中曽根内阁(1改) | |
香川保一 | 1986年 (昭和61年) |
1月17日1991年 (平成3年) |
5月4日名古屋高等裁判所长官 | 第2次中曽根内阁(2改) | |
坂上寿夫 | 1986年 (昭和61年) |
1月17日1993年 (平成5年) |
3月31日第二东京辩护士会所属辩护士 | 第2次中曽根内阁(2改) | |
佐藤哲郎 | 1986年 (昭和61年) |
5月21日1990年 (平成2年) |
1月4日东京辩护士会所属辩护士 | 第2次中曽根内阁(2改) | |
林藤之辅 | 1986年 (昭和61年) |
6月13日1987年 (昭和62年) |
8月6日大阪辩护士会所属辩护士 | 第2次中曽根内阁(2改) | |
四谷岩 | 1987年 (昭和62年) |
1月28日1992年 (平成4年) |
2月8日东京高等裁判所长官 | 第3次中曽根内阁 | |
奥野久之 | 1987年 (昭和62年) |
9月5日1990年 (平成2年) |
8月26日神戸辩护士会所属辩护士 | 第3次中曽根内阁 | |
贞家克己 | 1988年 (昭和63年) |
3月17日1993年 (平成5年) |
9月12日大阪高等裁判所长官 | 竹下内阁 | |
大堀诚一 | 1988年 (昭和63年) |
6月17日1995年 (平成7年) |
8月10日东京高等检察庁检事长 | 竹下内阁 | |
园部逸夫 | 1989年 (平成元年) |
9月21日1999年 (平成11年) |
3月31日成蹊大学教授 | 宇野内阁 | |
草场良八 | 1989年 (平成元年) |
11月27日1995年 (平成7年) |
11月7日东京高等裁判所长官 | 第1次海部内阁 | 第12任长官 1990年(平成2年)2月20日 - 1995年(平成7年)11月7日 |
桥元四郎平 | 1990年 (平成2年) |
1月11日1993年 (平成5年) |
4月12日东京辩护士会所属辩护士 | 第1次海部内阁 | |
中岛敏次郎 | 1990年 (平成2年) |
1月24日1995年 (平成7年) |
9月1日外交官(驻中华人民共和国大使等) | 第1次海部内阁 | |
佐藤庄市郎 | 1990年 (平成2年) |
2月20日1994年 (平成6年) |
2月15日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第1次海部内阁 | |
可部恒雄 | 1990年 (平成2年) |
5月10日1997年 (平成9年) |
3月8日福冈高等裁判所长官 | 第2次海部内阁 | |
木崎良平 | 1990年 (平成2年) |
9月3日1994年 (平成6年) |
7月24日大阪辩护士会所属辩护士 | 第2次海部内阁 | |
味村治 | 1990年 (平成2年) |
12月10日1994年 (平成6年) |
2月6日内阁法制局长官、第一东京辩护士会所属辩护士 | 第2次海部内阁 | |
大西胜也 | 1991年 (平成3年) |
5月13日1998年 (平成10年) |
9月9日东京高等裁判所长官 | 第2次海部内阁(改) | |
小野干雄 | 1992年 (平成4年) |
2月13日2000年 (平成12年) |
3月15日大阪高等裁判所长官 | 宫泽内阁 | |
三好达 | 1992年 (平成4年) |
3月25日1997年 (平成9年) |
10月30日东京高等裁判所长官 | 宫泽内阁 | 第13任长官 1995年(平成7年)11月7日 - 1997年(平成9年)10月30日 |
大野正男 | 1993年 (平成5年) |
4月1日1997年 (平成9年) |
9月2日第二东京辩护士会所属辩护士 | 宫泽内阁(改) | |
大白胜 | 1993年 (平成5年) |
4月13日1995年 (平成7年) |
2月13日神戸辩护士会所属辩护士 | 宫泽内阁(改) | |
千种秀夫 | 1993年 (平成5年) |
9月13日2002年 (平成14年) |
2月20日最高裁判所事务总长 | 细川内阁 | |
根岸重治 | 1994年 (平成6年) |
1月11日1998年 (平成10年) |
12月3日东京高等检察庁检事长、第一东京辩护士会所属辩护士 | 细川内阁 | |
高桥久子 | 1994年 (平成6年) |
2月9日1997年 (平成9年) |
9月20日劳动省妇人少年局长 | 细川内阁 | 最高裁的首位女性法官。 |
尾崎行信 | 1994年 (平成6年) |
2月16日1999年 (平成11年) |
4月18日第一东京辩护士会所属辩护士 | 细川内阁 | |
河合伸一 | 1994年 (平成6年) |
7月25日2002年 (平成14年) |
6月10日大阪辩护士会所属辩护士 | 村山内阁 | |
远藤光男 | 1995年 (平成7年) |
2月13日2000年 (平成12年) |
9月12日东京辩护士会所属辩护士、法政大学讲师 | 村山内阁 | |
井嶋一友 | 1995年 (平成7年) |
8月11日2002年 (平成14年) |
10月6日次长检事 | 村山内阁(改) | |
福田博 | 1995年 (平成7年) |
9月4日2005年 (平成17年) |
8月1日外交官(驻马来西亚大使等) | 村山内阁(改) | |
藤井正雄 | 1995年 (平成7年) |
11月7日2002年 (平成14年) |
11月6日大阪高等裁判所长官 | 村山内阁(改) | |
山口繁 | 1997年 (平成9年) |
3月10日2002年 (平成14年) |
11月3日福冈高等裁判所长官 | 第2次桥本内阁 | 第14任长官 1997年(平成9年)10月31日 - 2002年(平成14年)11月3日 |
元原利文 | 1997年 (平成9年) |
9月8日2001年 (平成13年) |
4月21日神戸辩护士会所属辩护士 | 第2次桥本内阁 | |
大出峻郎 | 1997年 (平成9年) |
9月24日2001年 (平成13年) |
12月19日内阁法制局长官 | 第2次桥本内阁(改) | 届满前自愿辞职。 |
金谷利广 | 1997年 (平成9年) |
10月31日2005年 (平成17年) |
5月16日东京高等裁判所长官 | 第2次桥本内阁(改) | |
北川弘治 | 1998年 (平成10年) |
9月10日2004年 (平成16年) |
12月26日福冈高等裁判所长官 | 小渕内阁 | |
龟山继夫 | 1998年 (平成10年) |
12月4日2004年 (平成16年) |
2月25日名古屋高等检察庁检事长、第一东京辩护士会所属辩护士 | 小渕内阁 | |
奥田昌道 | 1999年 (平成11年) |
4月1日2002年 (平成14年) |
9月27日京都大学教授 | 小渕内阁(1改) | 民法学者 |
梶谷玄 | 1999年 (平成11年) |
4月21日2005年 (平成17年) |
1月14日第一东京辩护士会所属辩护士 | 小渕内阁(1改) | |
町田显 | 2000年 (平成12年) |
3月22日2006年 (平成18年) |
10月15日东京高等裁判所长官 | 小渕内阁(2改) | 第15任长官 2002年(平成14年)11月6日 - 2006年(平成18年)10月15日 |
深泽武久 | 2000年 (平成12年) |
9月14日2004年 (平成16年) |
1月4日东京辩护士会所属辩护士 | 第1次森内阁 | |
滨田邦夫 | 2001年 (平成13年) |
5月1日2006年 (平成18年) |
5月23日第二东京辩护士会所属辩护士 | 第1次小泉内阁 | |
横尾和子 | 2001年 (平成13年) |
12月19日2008年 (平成20年) |
9月11日厚生省老人保健福祉局长、社会保険庁长官、驻爱尔兰国大使等 | 第1次小泉内阁 | 第二位最高裁判所女性裁判官,在退休前自愿辞职。 |
上田丰三 | 2002年 (平成14年) |
2月21日2007年 (平成19年) |
5月22日大阪高等裁判所长官 | 第1次小泉内阁 | |
泷井繁男 | 2002年 (平成14年) |
6月11日2006年 (平成18年) |
10月30日大阪辩护士会所属辩护士 | 第1次小泉内阁 | |
藤田宙靖 | 2002年 (平成14年) |
9月30日2010年 (平成22年) |
4月5日东北大学大学院教授(行政法) | 第1次小泉内阁(1改) | |
甲斐中辰夫 | 2002年 (平成14年) |
10月7日2010年 (平成22年) |
1月1日东京高等检察庁检事长 | 第1次小泉内阁(1改) | |
泉徳治 | 2002年 (平成14年) |
11月6日2009年 (平成21年) |
1月24日东京高等裁判所长官 | 第1次小泉内阁(1改) | |
岛田仁郎 | 2002年 (平成14年) |
11月7日2008年 (平成20年) |
11月21日大阪高等裁判所长官 | 第1次小泉内阁(1改) | 第16任长官 2006年(平成18年)10月16日 - 2008年(平成20年)11月21日 |
才口千晴 | 2004年 (平成16年) |
1月6日2008年 (平成20年) |
9月2日东京辩护士会所属辩护士 | 第2次小泉内阁 | |
津野修 | 2004年 (平成16年) |
2月26日2008年 (平成20年) |
10月19日内阁法制局长官、第一东京辩护士会所属辩护士 | 第2次小泉内阁 | |
今井功 | 2004年 (平成16年) |
12月27日2009年 (平成20年) |
12月25日东京高等裁判所长官 | 第2次小泉内阁(改) | |
中川了滋 | 2005年 (平成17年) |
1月19日2009年 (平成21年) |
12月22日第一东京辩护士会所属辩护士 | 第2次小泉内阁(改) | |
堀笼幸男 | 2005年 (平成17年) |
5月17日2010年 (平成22年) |
6月15日大阪高等裁判所长官 | 第2次小泉内阁(改) | |
古田佑纪 | 2005年 (平成17年) |
8月2日2012年 (平成24年) |
4月7日次长检事、同志社大学法科大学院教授 | 第2次小泉内阁(改) | |
那须弘平 | 2006年 (平成18年) |
5月25日2012年 (平成24年) |
2月10日第二东京辩护士会所属辩护士 | 第3次小泉内阁(改) | |
涌井纪夫 | 2006年 (平成18年) |
10月16日2009年 (平成21年) |
12月17日大阪高等裁判所长官 | 第1次安倍内阁 | 任期内去世。 |
田原睦夫 | 2006年 (平成18年) |
11月1日2013年 (平成25年) |
4月22日大阪辩护士会所属辩护士 | 第1次安倍内阁 | |
近藤崇晴 | 2007年 (平成19年) |
5月23日2010年 (平成22年) |
11月21日仙台高等裁判所长官 | 第1次安倍内阁 | 任期内去世。 |
宫川光治 | 2008年 (平成20年) |
9月3日2012年 (平成24年) |
2月27日东京辩护士会所属辩护士 | 福田康夫内阁 (改) | |
樱井龙子 | 2008年 (平成20年) |
9月11日2017年 (平成29年) |
1月15日劳动省女性局长[10]、 九州大学法学部客员教授(劳动法) |
福田康夫内阁 (改) | |
竹内行夫 | 2008年 (平成20年) |
10月21日2013年 (平成25年) |
7月19日外务事务次官、政策研究大学院大学连携教授 | 麻生内阁 | |
竹崎博允 | 2008年 (平成20年) |
11月25日2014年 (平成26年) |
7月7日东京高等裁判所长官 | 麻生内阁[9] | 第17任长官 2008年(平成20年)11月25日 - 2014年(平成26年)3月31日 |
金筑诚志 | 2009年 (平成21年) |
1月26日2015年 (平成27年) |
3月31日大阪高等裁判所长官 | 麻生内阁 | |
须藤正彦 | 2009年 (平成21年) |
12月28日2012年 (平成24年) |
12月26日东京辩护士会所属辩护士 | 鸠山由纪夫内阁 | |
千叶胜美 | 2009年 (平成21年) |
12月28日2016年 (平成28年) |
8月24日仙台高等裁判所长官 | 鸠山由纪夫内阁 | |
横田尤孝 | 2010年 (平成22年) |
1月6日2014年 (平成26年) |
10月1日次长检事、 第一东京辩护士会所属辩护士 |
鸠山由纪夫内阁 | |
白木勇 | 2010年 (平成22年) |
1月15日2015年 (平成27年) |
2月14日东京高等裁判所长官 | 鸠山由纪夫内阁 | |
冈部喜代子 | 2010年 (平成22年) |
4月12日2019年 (平成31年) |
3月19日东京家庭裁判所判事、 庆应义塾大学大学院法务研究科教授(民法) |
鸠山由纪夫内阁 | |
大谷刚彦 | 2010年 (平成22年) |
6月17日2017年 (平成29年) |
3月9日大阪高等裁判所长官 | 菅直人内阁 | |
寺田逸郎 | 2010年 (平成22年) |
12月27日2018年 (平成30年) |
1月8日广岛高等裁判所长官 | 菅直人内阁 (1改) | 第18任长官 2014年(平成26年)4月1日 - 2018年(平成30年)1月8日 |
大桥正春 | 2012年 (平成24年) |
2月13日2017年 (平成29年) |
3月30日第一东京辩护士会所属辩护士 | 野田内阁 (1改) | |
山浦善树 | 2012年 (平成24年) |
3月1日2016年 (平成28年) |
7月3日东京辩护士会所属辩护士 | 野田内阁 (1改) | |
小贯芳信 | 2012年 (平成24年) |
4月11日2018年 (平成30年) |
8月25日东京高等检察庁检事长、 亚细亚大学法学部教授(刑法) |
野田内阁 (1改) | |
鬼丸薰 | 2013年 (平成25年) |
2月6日2019年 (平成31年) |
2月6日东京辩护士会所属辩护士 | 第2次安倍内阁 | |
木内道祥 | 2013年 (平成25年) |
4月25日2018年 (平成30年) |
1月1日大阪辩护士会所属辩护士 | 第2次安倍内阁 | |
山本庸幸 | 2013年 (平成25年) |
8月20日2019年 (平成31年) |
9月25日内阁法制局长官 | 第2次安倍内阁 | |
山崎敏充 | 2014年4月1日 (平成26年) |
2019年8月30日 (令和元年) |
东京高等裁判所长官 | 第2次安倍内阁 | |
小池裕 | 2015年4月2日 (平成27年) |
2021年7月2日 |
东京高等裁判所长官 | 第3次安倍内阁 | |
林景一 | 2017年4月10日 (平成29年) |
2021年2月7日 |
英国驻箚特命全权大使 | 第3次安倍内阁 (2改) | |
宫崎裕子 | 2018年1月9日 (平成30年) |
2021年7月8日 |
第一东京律师会所属律师 | 第4次安倍内阁 | |
池上政幸 | 2014年10月2日 (平成26年) |
2021年8月28日 |
大阪高等检察厅检事长 | 第2次安倍内阁 (改) | |
木泽克之 | 2016年7月19日 (平成28年) |
2021年8月26日 |
东京律师会所属律师 | 第3次安倍内阁 (1改) | |
大谷直人 | 2015年2月17日 (平成27年) |
2022年6月22日 | 大阪高等裁判所长官 | 第3次安倍内阁 | 第19任长官 2018年1月9日 - 2022年6月22日 |
菅野博之 | 2016年9月5日 (平成28年) |
2022年7月2日 | 大阪高等裁判所长官 | 第3次安倍内阁 (2改) |
各种纪录
[编辑]- 任期最长裁判官 - 入江俊郎・6707天(约18年零4个月)
- 任期最短裁判官 - 庄野理一・330天(约11个月)
- 任命时最高龄裁判官 - 三渊忠彦・67岁零5个月
- 任命时最年轻裁判官 - 入江俊郎・51岁零7个月
- 辞职时最年轻裁判官 - 庄野理一・59岁零6个月
- 任命最多裁判官的内阁总理大臣 - 安倍晋三・22人
- 最长空缺期 - 244天(约8个月)
脚注
[编辑]- ^ 最高裁をよく知る基础知识 その1 (页面存档备份,存于互联网档案馆)
- ^ 如内阁法制局长官、外务省条约局长、国家公务员I种(旧上级职甲)考试合格者且担任过局长以上职务者等。
- ^ 日本《刑法》第34条之2规定,在刑期届满后连续10年未受罚款以上刑罚者,不构成禁止性事由。
- ^ 最高裁裁判官の任命について (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 司法制度改革推进本部顾问会议(第5回) (页面存档备份,存于互联网档案馆) (2002年7月5日)
- ^ 5.0 5.1 长岭超辉‘サイコーですか?最高裁!’(光文社) ISBN 4334975313 P112
- ^ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 长岭超辉‘サイコーですか?最高裁!’(光文社) ISBN 4334975313 P113
- ^ 野村二郎“日本の裁判官”(讲谈社)
- ^ 8.0 8.1 8.2 获任最高裁判所长官的年月日。
- ^ 9.0 9.1 9.2 9.3 未任命过最高裁判所判事,直接提名其为最高裁判所长官。
- ^ 1998年(平成10年)离职。
参考文献
[编辑]- 野中ら 等著‘宪法II’有斐阁; 第5版 (2012/3/30)。ISBN 978-4641131194
- 野村二郎“日本の裁判史を読む事典”自由国民社 (2004/11/25)。 ISBN 978-4426221126
关联条目
[编辑]外部链接
[编辑]- 最高裁判所判事一览表 (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 裁判所