二階堂行貞
二階堂 行貞 | |
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時代 | 鎌倉時代末期 |
出生日期 | 文永6年(1269年) |
逝世日期 | 嘉曆4年2月2日(1329年3月3日) |
假名 | にかいどう ゆきさだ |
羅馬字 | Nikaidō Yukisada |
別名 | 左衛門尉 |
朝廷官位 | 山城守、信濃守 |
幕府職位 | 鎌倉幕府政所執事 |
主君 | 惟康親王→久明親王→守邦親王 |
氏族 | 二階堂氏 |
父母 | 父:二階堂行宗 |
子 | 二階堂貞衡 二階堂行廣 |
二階堂行貞(日語:二階堂行貞/にかいどう ゆきさだ Nikaidō Yukisada,1269年—1329年3月3日[1][2][3][4])是日本鎌倉時代末期武將,鎌倉幕府政所執事[2][3],祖父是二階堂行忠,父親是二階堂行宗[2][3][4]。
生涯
[編輯]行貞的名字源自得宗北條氏當主鎌倉幕府第9代執權北條貞時的名諱[5],通稱左衛門尉[2],官位是山城守[2]、信濃守[2]。
行貞的父親二階堂行宗雖然升官至引付眾,但是早於其父親二階堂行忠在弘安9年(1286年)死去,年僅22歲的行貞則在正應3年(1290年)就任政所執事[2][3][4]。這項人事調動不過等同繼承當主,當時仍然處於在弘安8年(1285年)憑霜月騷動掌握實權的得宗家被官內管領平賴綱的時期。
正應6年(1293年),北條貞時在平禪門之亂中擊敗平賴綱後,全盤否定賴綱時代的人事,重新回到貞時之父北條時宗的時代。同年10月,行貞亦受到牽連而被免職[2][6],改為在10月19日任命從未出任過政所執事的隱岐流二階堂行村系統的二階堂行藤。乾元元年(1302年)8月,行藤死後三個月,行貞再次就任政所執事[2][3][4],當時就信濃流行貞還是行藤的嫡子二階堂貞藤繼任,鎌倉幕府展開了激烈的爭論[7]。正安3年(1301年)時,行貞出家,法號為行曉[2][3][4]。
行貞亦是《吾妻鏡》的編者之一,如果是他安插祖父行忠為二階堂行盛之子的資訊於《吾妻鏡》的話[8],只是單純越過祖先,相對於隱岐流行藤和時藤,強調二階堂行光、行盛、行忠和自己的家系的正當性[9]。
嘉曆4年2月2日(1329年3月3日),行貞死去,享年61歲[2][3][4],死前一直出任政所執事[3],其後由嫡子二階堂肯衡繼任家督[2]。
另一名兒子二階堂行廣的兒子的子孫後來則成為六鄉氏。
參考資料
[編輯]- ^ 按《鎌倉年代記》乾元元年條,行貞在嘉曆4年(1329年)61歲死去,逆算下生年為文永6年(1269年)(紺戸淳 「武家社會における加冠と一字付與の政治性について」(『中央史學』二、1979年、P.15))。
- ^ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 安田、1990年、p.453 「二階堂行貞」(鎌倉時代)の項(執筆:関口みさを)より。
- ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク所収)「二階堂行貞 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)」の項(執筆:永井晉)より。
- ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 『デジタル版 日本人名大辭典+Plus』(コトバンク所収)「二階堂行貞(1) (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)」の項 より。
- ^ 按《鎌倉年代記》記載,逆算出其出生年份是文永6年(1269年),應該是在1278年至1283年之間元服(紺戸淳 「武家社會における加冠と一字付與の政治性について」(『中央史學』二、1979年、P.15))。然而,這極其量是推測,有可能更早或更遲,因此視在1284年就任執權的貞時為其烏帽子親亦無礙(紺戸淳 「武家社會における加冠と一字付與の政治性について」(『中央史學』二、1979年、P.19))。向御家人下賜名諱是得宗的慣例(角田朋彥 「偏諱の話」(『段かづら』三・四(再興中世前期勉強會會報、2004年)p.20-21)),行貞與嫡子二階堂貞衡均拜領貞時的「貞」字(紺戸淳 「武家社會における加冠と一字付與の政治性について」(『中央史學』二、1979年、P.15)),由此可見行貞是在貞時就任執權後不久獲其賜予名諱
- ^ 不久後的永仁元年(1293年),行貞將上野國佐野莊內板倉鄉寄進予伊豆國走湯山東明寺(安田、1990年、p.453 「二階堂行貞」(鎌倉時代)の項(執筆:関口みさを))。
- ^ 細川論文、1999年。按《鎌倉年代記》背書記載,行忠死去前的正應3年(1290年)正月,在鎌倉發生企圖暗殺行貞的事件,細川認為此事與隱岐流的行藤和貞藤父子有關。
- ^ 『吾妻鏡』1222年(貞応元年)9月21日條に「籐民部大夫行盛の妻男子平産す」とある、行忠誕生の記事
- ^ 五味文彥『増補 吾妻鏡の方法―事実と神話にみる中世』p300
參考文獻
[編輯]- 細川重男. 鎌倉政権得宗専制論. 吉川弘文館. 2000. ISBN 978-4642027861.
- 安田元久. 鎌倉・室町人名事典コンパクト版. 新人物往來社. 1990. ISBN 978-4404017574.
- 五味文彥. 増補 吾妻鏡の方法―事実と神話にみる中世. 吉川弘文館. 2000. ISBN 978-4642077712.
- 細川重男. 鎌倉遺文研究2 鎌倉時代の社会と文化. 東京堂出版. 1999. ISBN 9784490203752.