用户:吴柏霆/Sandbox 1
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碓冰第三桥梁 | |
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碓氷第三橋梁 | |
坐标 | 36°21′29″N 138°41′54″E / 36.35806°N 138.69833°E |
跨越 | 碓冰川 |
地点 | 日本群马县安中市松井田町坂本[1] |
设计参数 | |
桥型 | 砖造拱桥 |
历史 | |
施工单位 | " |
完工日 | 1892年(明治25年)[2] |
地图 | |
碓冰第三桥梁(日语:碓氷第三橋梁/うすいだいさんきょうりょう Usui dai-san kyō ryō */?)是一座位于群马县安中市松井田町坂本的拱桥,曾作为铁路桥使用[1],现为人行桥。该桥另有“眼镜桥”的爱称[1],亦较广为人之。
碓冰川に架かる炼瓦造りの4连アーチ桥で[1]、碓冰峠の代表的な建造物である。国铁信越本线横川駅 - 軽井沢駅间の桥梁の一つで、同区间がアプト式铁道时代に使われた。设计者は、1882年(明治15年)に铁道作业局技师长としてイギリスから日本に招聘されたイギリス人技师のパウナル (Charles Assheton Whately Pownall)[3]と古川晴一。
1891年(明治24年)着工。高崎駅と直江津駅を结ぶ线路(后の信越本线)のうち、上述の区间だけが未开通だったため急ピッチで工事が进められ、1893年(明治26年)に竣工した。
もっとも开业直后から强度不足による変形が指摘され、これに伴い翌1894年(明治27年)に耐震补强名目で桥脚・アーチ部の双方に対する大挂かりな补强工事が実施された。
その后は信越本线の电化を経て1963年(昭和38年)に新线が建设され、アプト式铁道が廃止されるまで使用された。全长91 m、川底からの高さ31 m、使用された炼瓦は约200万个に及ぶ。现存する炼瓦造りの桥の中では国内最大规模であり、1993年(平成5年)には“碓冰峠铁道施设”として、他の 4 つの桥梁等とともに日本で初めて重要文化财に指定された[4]:168。现在は横川駅からこの桥までの旧线迹が游歩道“アプトの道”になり、桥上の手すりや国道18号へ通じる阶段などが整备されている。また、2012年3月に碓冰第三桥梁~旧熊ノ平駅间1.2kmの延伸工事が完成し、4月1日から横川~熊ノ平间、全长5.9 kmとなった。
国际连合教育科学文化机関(ユネスコ)の世界遗产への登录を目指し、2007年(平成19年)6月に暂定リスト入りをした。しかし、心ない者による落书きがレンガの桥脚に雕り込まれる悪戏が多発しており、関系者は、対応に苦虑している[5]。
ぐんま绢遗产(群马県)の“碓冰峠铁道施设”の构成资产となっている。
周遭
[编辑]图片集
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碓冰第三桥梁摄于1997年
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碓冰第三桥梁上
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全景
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桥墩
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围栏
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邻接隧道内部
注释
[编辑]参考资料
[编辑]- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 めがね橋と紅葉の競演 深まる秋 レンガ造りの橋上も歩ける 群馬・安中. 每日新闻. 2020-11-18 [2021-03-15] (日语).
- ^ 饭冢小牧. 国重文指定の鉄道遺構を歩く 信越本線新線で廃線ウォーク. 旬刊旅行新闻 (旅行新闻新社). 2019-05-09 [2021-03-15] (日语).
- ^ 作錬式钣桁(铁道作业局錬铁式钣桁)と呼ばれる规格化设计に基づくプレート・ガーダー桁の设计などで知られる。
- ^ 五十畑弘. 図説日本と世界の土木遺産. 秀和SYSTEM. 2017. ISBN 978-4-7980-5223-6.
- ^ 碓氷峠・めがね橋に落書き絶えず…世界遺産登録「心配」. YOMIURI ONLINE(読売新闻社). 2008-02-18 [2015-07-09]. (原始内容存档于2008-02-15).