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(Wide View)飞驒号
“(Wide View)飞驒”主力列车-85系柴联车
(摄于2004年9月)
概述
日文名ひだHida
开行日期1958年昭和33年)3月1日
运营商东海旅客铁道(JR东海)
列车等级特别急行列车
运行区间名古屋大阪高山飞驒古川富山
途经线路东海道本线高山本线
技术
使用车辆85系柴联车
名古屋车辆区
备注2009年10月资料
运行路线图
图例
全部班次停站
部分班次停站
粗体:列车起点站
大阪站JR西日本东海道本线京都线
新大阪站
京都站↓JR西日本:东海道本线(琵琶湖线
草津站
米原站JR东海:东海道本线
大垣站
名古屋站
尾张一宫站
岐阜站↓JR东海:高山本线
鹈沼站
美浓太田站
白川口站
飞驒金山站
下吕站
飞驒萩原站
飞驒小坂站
久久野站
高山站
飞驒古川站
猪谷站↓JR西日本:高山本线
越中八尾站
速星站
富山站
Wide View飞驒的方向幕(2008年09月20日)

飞驒”号(日语原文:ひだ)是东海旅客铁道(JR东海)的一个特别急行列车L特急)班次的名称。列车在东海道本线高山本线内营运,主要来往大阪名古屋高山飞驒古川富山

本条目除叙述“飞驒”号的资料外,亦包括高山本线各优等列车的历史。

概要[编辑]

“飞驒”号列车于1958年3月1日开设(当时为准急列车),经高山本线来往名古屋及富山。同年9月服务自富山延长至高冈。1966年3月升格为急行列车。1968年10月1日升格为特急列车并再延长服务至金泽。1985年3月曾缩短至飞驒古川,但自1990年起逐渐恢复来往富山。

由于早期尚未有高速公路通往高山,因此“飞驒”号非常受旅客欢迎。随着JR东海改以キハ85系服务此班次,令乘客数更进一步增加,JR东海内部称之为“Wide View效应”。但随着东海北陆自动车道的兴建(2008年全线开通),列车需与私家车、JR东海巴士名铁高速巴士高速巴士班次竞争。

列车名称由来[编辑]

“飞驒”这个名称,是源于以高山市为中心,岐阜县北部地区的古代领制国“飞驒国”和现时的“飞驒地方”。

“飞驒”号列车于1980年10月采用以合掌造飞驒山脉为背景的列车标志牌,是首种以柴联车服务的国铁特急列车使用同类标志(其他以柴联车服务的国铁特急列车于1985年才改用同类标志)。此外,由于选乘“飞驒”号的乘客众多,国铁曾计划将高山本线电气化,令“飞驒”号列车能以电联车服务。可是由于国铁财政严重恶化,最终电气化的计划被束之高阁至今。

运行概况[编辑]

班次编号[编辑]

  • 列车番号は运転区间・运転线区等により异なる。
    • 名古屋站~高山站・飞驒古川站间运転の列车の场合、下りは号数+20の奇数、上りは号数+20の偶数となる。例えば、3号=23D、14号=34Dとなる。
    • 名古屋站~富山站间运転の列车の场合、下りは号数+1020の奇数、上りは号数+1020の偶数となる。例えば、1号=1021D、6号=1026Dとなる。
    • 大阪站~高山站间运転の列车の场合、列车番号は区间により异なる。
      • 大阪站~岐阜站间は、2025D・2036Dと、下りは号数+2000の奇数、上りは号数+2000の偶数となる。
      • 岐阜站~高山站间は、并结する名古屋站発着列车にあわせる。その为、25D・36Dと见かけ上、下りは号数+0の奇数、上りは号数+0の偶数となる。但し、これは多层建て列车として名古屋站~高山站・飞驒古川站间运転の列车番号を使用することによる。

停车站、运行方法[编辑]

以下只纪录定期班次(2008年3月更新)的资料

班次

(来往名古屋站的班次)

  • 名古屋-富山:每日4班来回
  • 名古屋-飞驒古川:每日1班来回
  • 名古屋-高山:每日5班来回
车站一览
大阪站発着(25・36号の1往复)
<>で囲った站は下りのみ停车
  • 岐阜〜高山站间は名古屋站発着列车と并结する。
  • 米原站から京都・大阪方面はJR西日本管内の为、この站でJR西日本の乘务员に交代する。

车长派出地区[编辑]

行车时间[编辑]

  • 从名古屋开出
    • 往富山(256.1km):3小时40分~4小时
    • 往高山(166.7km):2小时10~30分钟
    • 往下吕:1小时30分钟
  • 从大阪开出
    • 往高山(296.5km):4小时10分钟
    • 往下吕:3小时30分钟

使用车辆[编辑]

キハ85系“(Wide View)飞驒”

全部班次以キハ85系(配属于名古屋车辆区)营运。

  • 3、13、20号
←岐阜方向 名古屋/富山方向→
←只行驶名古屋至高山一段→ ←全线行驶→
1 2 3 4 8 9 10
× G× × × × × G×
  • 7、11、6、14、18号
←岐阜方向 名古屋/富山方向→
←名古屋至高山→ ←全线行驶→
1 2 3 8 9 10
× × × × G×
  • 5、19、25、12、16、36号
←大阪・岐阜 名古屋/高山・飞驒古川→
←19・25号、36号→ ←5号、12・16号→
1 2 3 5 6 7 8
× × × G× × ×

※5号と25号、16号と36号は岐阜站で分割・并合(さらに5号は25号を高山站で切り离し)。19号は1~3号车の3両で、12号は5~8号车の4両で运行。

  • 1・9・15・17号、2・4・8・10号
←岐阜 名古屋/高山→
1 2 3 4
× G× × ×
G=グリーン车指定席 指=普通车指定席 自=普通车自由席 ×=禁烟车両
  • グリーン车は、高山站または飞驒古川站で折り返す4両编成の2号车または6号车は4列シート、富山站まで乘り入れる3両编成の10号车は3列シートである。
  • 多客期には指定席车両が1両単位で増结されることがある。また、临时列车に関しては定期列车で富山站まで乘り入れる编成のみで运行される场合があり、その场合は全区间全车禁烟になる。なお、定期列车でも飞驒古川站~富山站间は全列车全车禁烟である。

临时列车[编辑]

繁忙期の増発以外の特徴的なことを记述する。

  • 高山祭(春4月14日~15日、秋10月9日~10日)の时は昼间帯に増発されるとともに1日目の晩の夜祭り终了后、上り名古屋行きが运転される。
  • 越中おわら风の盆(9月1日~2日)の际は、夕方の一部列车で高山~越中八尾间の延长运転が行われる(2005年~2007年は不通のため运転されなかった)。
  • 崇教真光の行事が行われるときは、早朝に下り名古屋~高山の临时列车が运行される。
  • さわやかウォーキング実施日には、当该站に临时停车する。
  • 年末年始、ゴールデンウィーク、お盆など大型连休により観光客が多い时期は昼间临时列车が运転される。
  • “いい旅ふた旅ひだ”:岐阜县の“飞驒・美浓じまんプロジェクト”とタイアップして行っている、観光キャンペーン“いい旅ふた旅岐阜の旅”の一环として运行している。现在は下りのみ运転。
    • 3列グリーン车を连结した2両编成。だが、2両编成なのでいつも混雑が绝えない。最近は7号车と9号车の间に指定席を连结した4両编成で运行することが多い。

车内放送[编辑]

JR东海では车内放送による沿线案内に力を入れているが、自动化された中央本线の特急“しなの”と异なり“ひだ”では车掌による肉声の案内がされている。以下に挙げた案内がよく行われている。

车内贩売[编辑]

迂回运転[编辑]

东海道本线の名古屋站~岐阜站、又は高山本线の岐阜站~美浓太田站の间で灾害・信号故障などで一定时间以上の运転见合わせ・不通となった场合は、中央本线太多线経由(名古屋站~多治见站~美浓太田站)で迂回运転が行われる。これは、キハ85系気动车で同区间をホームライナー太多として毎日运行(休日は回送)している実绩があるので、运転上の支障がないためである。なお迂回运転の决定は遅延による特急料金の払い戻しとなる2时间を目安として、それより早い复旧の目途が立たない场合に行われているようである。この场合、多治见站と美浓太田站と2度折り返しをする関系で名古屋・高山方向で编成が上下逆転することはない。

特急料金の通算[编辑]

“ひだ25号”(大阪発高山行き)に大阪站~大垣站间の各停车站から乘车し、岐阜站で并结する“ひだ5号”(名古屋発飞驒古川行き)に乘り换えて飞驒古川站まで乘车する场合は飞驒古川站までの特急券は通しの料金で计算される。

高山本线优等列车历史[编辑]

二战前[编辑]

二战后[编辑]

  • 1958年(昭和33年)3月1日 名古屋站~富山站间を东海道本线・高山本线経由で运行する准急列车として“ひだ”の运行を开始。
  • 1958年(昭和33年)9月20日 “ひだ”1往复を増発。増発列车は名古屋站~高山站间で运行される。また、従来运行されていた列车は高冈站までの运行となる。
  • 1960年(昭和35年)7月1日 “ひだ”高山站発着列车1往复を増発。
  • 1960年(昭和35年)10月1日 “ひだ”1往复を延长し福井站米原站経由の循环准急列车“こがね”・“しろがね”とする。
    • 経路としては“しろがね”は名古屋站→岐阜站→高山站→富山站→金沢站→米原站→岐阜站→名古屋站の顺で、“こがね”は逆回りであった。この列车の运行背景としては、中京圏対北陆との短络线として高山本线が注目されていたこともあったとされる。また、“こがね”には1本高山本线内は夜行列车として运行された。
  • 1961年(昭和36年)3月1日 “ひだ”夜行列车ながら富山站→名古屋站间上り1本を増発。
  • 1963年(昭和38年)4月20日 “ひだ”金沢站発着の1往复を急行列车に升格し“加越”の名称が与えられる。
  • 1965年(昭和40年)8月5日 名铁神宫前站~高山站间で准急列车たかやまの运行を开始。
  • 1966年(昭和41年)3月5日 急行料金制度改订に伴い、“ひだ”・“こがね”・“しろがね”、急行列车に升格。同时に、大阪站~高山站间の急行列车“のりくら”の运行开始。
  • 1966年10月 名古屋站~越美南线北浓站间を运行する急行“おくみの”运行开始。
    • “おくみの”の设定は前1964年(昭和39年)に运行された临时列车“みぼろ”が前提となっているとされるが、高山本线内は“のりくら”に并结、下り列车が美浓白鸟站以远が普通列车化されるなど当初より変则的な运行であったとされる。
  • 1966年12月 临时准急列车として岐阜站~下吕站间に“ライン”が运行される。
  • 1967年(昭和42年)7月~8月 キハ8000系を国铁が名铁から借り受け、名古屋站~高山站间で夜行の临时急行“りんどう”を下りに限り运行。
  • 1967年12月 “くろしお”の夜间滞泊の间合いを利用して、名古屋站~飞驒古川站间に临时急行“ひだ”を下りに限り运行(上りは回送)。临时急行に特急形気动车が使用される当时としては珍しい例となった。

特急“ひだ”の运行开始以降[编辑]

  • 1968年(昭和43年)10月1日 年号からヨン・サン・トオ(4・3・10)と称される白纸ダイヤ改正に伴い以下のように运行列车の系统が変更される。
    1. “ひだ”、名古屋站~金沢站间を东海道本线・高山本线・北陆本线経由で运行する特急列车に升格。この时点では1往复のみの运行となる。
    2. 従来、“ひだ”・“加越”など名古屋站~富山站间を东海道本线・高山本线経由で运行する急行列车に“のりくら”の名称を与える。この时点では夜行列车1往复を含む下り4本上り5本で运行される。
    3. “のりくら”の名称で运行された大阪站~高山站间の急行列车については“くろゆり”に名称を変更。
  • 1969年(昭和44年)7月 下吕站美浓太田站间运行の临时急行列车として“ライン”が运行される。
  • 1969年10月1日 “おくみの”越美南线内を普通列车化。
  • 1970年(昭和45年)7月14日 名古屋站~富山地方铁道立山站まで运行される临时急行列车“むろどう”が运行开始。
    • “むろどう”は名古屋站発が夜行列车として运行され、立山站発が昼行列车として运行される体制で运行される。
  • 1970年7月15日 名铁神宫前站~飞驒古川站间の急行列车“たかやま”を北アルプスに名称変更。“北アルプス”は、夏期には富山地方铁道立山站まで运行。
  • 1971年(昭和46年)10月1日 大阪站~高山站间の急行列车“くろゆり”を“たかやま”に名称変更。
  • 1972年(昭和47年)3月15日 “たかやま”定期列车に升格。また、“こがね”・“しろがね”の运行が终了し、高山本线部分については“のりくら”に统合される。
  • 1973年(昭和48年)7月 “ライン”下吕站→美浓太田站间运行の临时快速列车に降格。
  • 1973年10月1日 “のりくら”に并结される形で名古屋站~宇奈月温泉站间を运行する临时急行“うなづき”运行开始。
  • 1974年(昭和49年)12月 “ライン”この时期を最后に运行が行われなくなる。
  • 1975年(昭和50年)7月 名古屋站→高山站间运行の临时快速列车として“飞驒路”(ひだじ)が运行される。
  • 1975年10月1日 “おくみの”运行终了。
  • 1976年(昭和51年)9月3日 “のりくら”の一翼として名古屋站~高山站间に1往复运転されていたキハ91系が、この日で运転を终了。翌4日からは、他の“のりくら”と同様のキハ58系に置き换え。
  • 1976年10月1日 このときのダイヤ改正急行列车により、以下のように変更。
    1. “北アルプス”、特急列车に升格。
    2. 特急“おき”をキハ181系気动车へ置き换え。これにより、小郡机関区からキハ82系が転入、特急“ひだ”を名古屋~高山间に2往复増発。
  • 1978年(昭和53年)10月2日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 特急“くろしお”の电车化により特急“ひだ”を名古屋~高山间に1往复増発。
    2. 急行列车“たかやま”、飞驒古川站まで延长。
  • 1980年(昭和55年)10月1日 特急“ひだ”のヘッドマークが合掌造りの家と飞驒山脉をモチーフとした絵入りの物に変更される。
    • 気动车特急での絵入りヘッドマークは异例のことで、铁道ファンや子供たちの间で注目を浴びた。これは、他の気动车特急走行区间に比べ、利用者が多かったこともあるが、その背景には高山本线の电化事业が计画されていた顷であり、后に“ひだ”を电车特急として走行させる予定があったためである(后に予算不足により计画が顿挫し、2008年现在も実现には至っていない)。尚、1985年には他の気动车特急でも一斉に絵入りヘッドマークが采用されることになった。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 このときのダイヤ改正により、急行“うなづき”・“むろどう”运行终了。夜行の“のりくら”を廃止。
  • 1984年7月1日 特急列车“北アルプス”、夏期の富山地方铁道立山站乘り入れを中止。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 特急列车“ひだ”は飞驒古川站~金沢站列车の运行廃止。名古屋站~高山站・飞驒古川站を结ぶ特急列车となる。
    2. 特急列车“北アルプス”は名铁新名古屋站(后の名铁名古屋站。下りは神宫前站始発)~富山站発着となり、名古屋~富山间を高山経由で运行する唯一の特急列车となる。
    3. 急行列车“のりくら”は北陆本线への乘り入れを中止する。これにより、名古屋-高山・富山间を结ぶ急行となる。
  • 1988年(昭和63年)7月 大阪站~高山站间をジョイフルトレイン使用の临时特急“ユートピア高山”运転。
    • 大阪站和仓温泉站间を运行した“ゆぅトピア和仓”同様、大阪站~富山站间は特急“雷鸟”に并结して运行した。

JR化以降・フラッグシップトレインとしての“(ワイドビュー)ひだ”[编辑]

  • 1989年(平成元年)2月18日 “ひだ”3・6号に"ワイドビュー気动车"キハ85系を导入。
  • 1989年3月11日 このときのダイヤ改正により、特急“ひだ”急行“のりくら”それぞれ4往复ずつだったのを“ひだ”5往复“のりくら”3往复としてワイドビュー気动车キハ85系の“ひだ”は3・8号となる。
  • 1990年(平成2年)3月10日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. “ひだ”、エル特急化。また、运行区间を见直し、一部列车は富山站まで延长。
      • 同时に、“ひだ”は全列车キハ85系使用とし、それに伴うスピードアップを実施。名古屋 - 高山间は最速2时间16分に短缩。
    2. この改正により、定期列车においてキハ80系を使用する特急は“南纪”のみとなる。
    3. 特急“北アルプス”については、高山站発着となる。
    4. 急行“のりくら”を廃止。
      • なお、急行“のりくら”については、定期运用は终了したが、しばらくは多客期のみ名古屋 - 高山间の全席指定临时急行列车として运転された。
  • 1990年7月 大阪站~高山站间运行の临时特急“ユートピア高山”の运転を终了。
  • なお、同年夏顷より急行“たかやま”のアコモ改造が始まり、完了した车両が随时定期运転列车に投入される。
  • 1991年(平成3年)2月7日 急行“たかやま”全车両のアコモ改造が完了する。
  • 1991年3月16日 このときにダイヤ改正により以下のように変更。
    1. “北アルプス”に名铁キハ8500系気动车を导入。
      • 名铁キハ8500系気动车は设计上キハ85系気动车と并结可能なため、美浓太田站において“北アルプス”と临时列车の“ひだ”とで増解结を行うことが可能であった。その为、临时“ひだ”を并结する运用が组まれるようになった。
    2. 両开き分岐器(Y字ポイント)导入により、名古屋~高山间は7分短缩され2时间9分の运転。キハ80系时代と比较して38分の短缩となった。
  • 1993年(平成5年)7月 “飞驒路”この年の运行を以て运行が中止される。
  • 1994年(平成6年)10月25日 高山本线60周年记念式典が行われ、キハ82系による“メモリアルひだ号”をイベント列车として名古屋~高山间で1往复运転。
  • 1994年12月上旬 高山本线全通60周年记念と美浓加茂市制40周年记念の‘メモリアル6040ひだ’が运転。高山本线内ではキハ82系最后の运転となる。
    1999年をもって廃止された急行列车“たかやま”(1999年撮影)
  • 1995年(平成7年)7月 “北アルプス”と并结される“ひだ”の临时列车に大阪站発列车があてがわれる。この列车は岐阜站で名古屋站発着列车と并结され、美浓太田站からは新名古屋站発と并せた三阶建て列车となった。
  • 1999年(平成11年)12月4日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 急行列车“たかやま”を廃止し、エル特急“ひだ”に格上げ。
      • 大阪站発着の“ひだ”は、岐阜站にて大阪站発着列车と名古屋站発着列车との増解结を行う。
    2. 特急“北アルプス”は、定期特急“ひだ”との并结运転となる(7号と18号)。
      • これに伴い、“ひだ”定期列车を8往复から10往复に増発。
  • 2001年(平成13年)10月1日 特急“北アルプス”廃止。名铁からの乘り入れ列车运転终了。
  • 2004年(平成16年)10月 このとき発生した台风による水害により、高山本线高山站~富山站间が运休となる(路线の不通区间は高山站~猪谷站)。11月より飞驒古川站までの路线が复旧し、运休区间は、飞驒古川站~富山站间となる。
    复旧して富山站に戻ってきたワイドビューひだ(2007年撮影)
  • 2005年(平成17年)10月 复旧工事が进み路线の不通区间は角川站から猪谷站までとなるが、“ひだ”の运休区间は変わらず。
  • 2007年(平成19年)9月8日 高山本线の全线复旧に伴い、约3年ぶりに全区间での运転を再开。
  • 2007年10月6日 “いい旅ふた旅ひだ”运行开始。
  • 2008年(平成20年)3月15日 ダイヤ改正により、“ひだ”名古屋 - 高山间の午后からの列车1往复を午前中に运転するダイヤに改正される。これにより下り定期运転の一番早い列车ひだ1号が午前10时に高山へ到着するダイヤとなる。

相关列车名称由来[编辑]

(按五十音顺序排列)
  • “宇奈月”(日语:うなづき)-以列车终点站附近的宇奈月温泉命名。
  • “奥飞驒”-以飞驒东部的“奥飞驒温泉乡”命名。
  • “奥美浓”(日语:おくみの)-以美浓北部地区名称命名。
  • “北阿尔卑斯”(日语:北アルプス)-以飞驒山脉的别名“北阿尔卑斯山”命名。
  • “黑百合”(日语:くろゆり)-以高山植物“黑百合”命名。
  • “小金”(日语:こがね):以北陆地方稻田区秋季满布稻穗的景色命名。
  • “白金”(日语:しろがね):以积雪的飞驒山脉景色命名。
  • “高山”(日语:たかやま)-以沿线主要城市“高山市”命名。
  • “乘鞍”(日语:のりくら)-以飞驒山脉南部山峰群“乘鞍山岳”命名。
  • “飞驒路”-意思为前往飞驒国的道路。
  • “御母衣”(日语:みぼろ)-以御母衣水坝命名。
  • “室堂”(日语:むろどう)-以立山登山基地命名。
  • ユートピア高山 使用したジョイフルトレイン“ゆぅトピア”に行き先となる“高山”を组み合わせる。
  • “莱茵”(日语:ライン)-途径的木曾川被誉为“日本莱茵河”而得名。
  • “龙胆”(日语:りんどう)-以植物“龙胆”命名。

相关条目[编辑]

  • 名铁特急(名铁乘り入れ列车“たかやま”“北アルプス”)
  • 太田裕美“メタモルフォーゼください”(1990年3月10日のダイヤ改正时のイメージソングとなった。)