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貴乃花光司

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貴乃花光司
攝於2011年
四股名貴花田 光司→貴ノ花 光司→貴乃花 光司
本名花田光司
出生 (1972-08-12) 1972年8月12日52歲)
出生地 日本東京都杉並區
身高1.85公尺(6英尺1英寸)
體重161公斤(355英磅)(現役時)
73公斤(161英磅)(2016年)
BMI47.04(現役時)
21.30(2016年)
所屬部屋藤島部屋→二子山部屋
得意技突っ張り、右四つ、左四つ、寄り、上手投げ
成績
目前排名引退
最高等級第65代橫綱
終生戰績794勝262敗201休(90場所)
幕內戰績701勝217敗201休(75場所)
冠軍幕內優勝22回
幕下優勝2回
獎勵殊勛賞4回
敢鬥賞2回
技能賞3回
資料
首次登場1988年3月場所
晉升幕內1990年5月場所
引退2003年1月場所
引退後擔任一代年寄貴乃花部屋師匠
備註
*資料於2019年7月30日更新。
日語寫法
日語原文貴乃花 光司
假名たかのはな こうじ
平文式羅馬字Takanohana Kōji

貴乃花光司(日語:貴乃花 光司たかのはな こうじ Takanohana Kōji,1972年8月12日),本名花田光司(日語:花田 光司はなだ こうじ Kōji Hanada),出生於東京都杉並區、生活在中野區[1],退役日本相撲力士,第65代橫綱

生平

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貴乃花光司小學二年級開始學習相撲,之後進入了明治大學附屬中野中學就讀,也成為學生相撲的常勝軍。在父親大關貴之花利彰的耳濡目染下,貴乃花放棄了高中教育,直接進入了職業相撲。貴乃花之後等級一級一級的上昇,成為幕內優勝紀錄的最年輕的保持者。

貴乃花第一次挑戰橫綱,就以不到19歲的年齡打敗當年最富盛名的橫綱千代富士。千代富士隨之於第三日賽後宣布退役。貴乃花因為此場比賽,一躍成為眾所矚目的相撲巨星;而他的哥哥若乃花也是相撲力士,之後也成為最高位階的橫綱。

貴乃花在2003年宣布引退後,於同年6月1日舉行相撲式的斷髮儀式。象徵相撲的大銀杏落下後,貴乃花和父親二子山親方在土俵上一一向四面的觀眾行禮;斷髮儀式結束後,父親二子山親方同時宣布將二子山部屋經營權移交給他,並將在2007年2月正式改名為「貴乃花部屋」。二子山親方表示,在2007年春天交出二子山部屋經營權後,自己將專心在審判部工作。

位在東京中野新橋的二子山部屋在改名為貴乃花部屋的同時,也將是日本相撲協會改選的時候;因此,繼承了貴乃花部屋所肩負的重責大任將可想而知,因為這裡是一個創立於昭和37年(1962年),培育出4位橫綱力士(2代目若乃花、隆之里俊英、3代目若乃花、貴乃花)、3位大關力士(貴乃花、若嶋津、貴乃浪貞博)以及名力士輩出的名門。

一生之敵-曙

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貴乃花與曙太郎一同成相撲學生,後者也給予貴乃花最多的失敗和挫折。貴乃花不斷打破最年輕晉級記錄,但曙每次都扮演攔路虎的角色。貴乃花的進攻技巧,在身高臂長的曙前面總受制於對方的長臂,難以接近和施展近身博技。兩人在對抗中共同成長,而曙更早成為橫綱。貴乃花後期不斷苦練,力量增強且技術達到精通,終於擊敗了曙並最終成為第六十五代橫綱。[2]

晉升時間表

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貴乃花的晉升時間表如下:

初土俵 : 1988年三月

新十両 : 1989年十一月

新入幕 : 1990年五月

新三役 : 1991年七月

大関昇進 : 1993年三月

橫綱昇進 : 1995年一月

年表

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所屬部屋:藤島〈二子山〉

出土俵:1988年〈三月〉

新十枚目:1989年〈十一月〉

新入幕:1990年〈五月〉

最終:2003年〈一月〉

更名:由〈花田〉改為〈貴乃花〉

最高位:橫綱〈65代力士〉

得意手〈厲害的招數〉:右四つ、寄り、上手投げ

身高:184cm

體重:149kg

血型:O型

父親:『大關』貴乃花,稱號『二子山親方』

母親:女星藤田憲子(2001年父母離婚)

戰績

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場所 地位 勝數 敗數 休場 備考
1990年5月 東前頭14枚目 4 11 0 新入幕
1990年11月 西前頭12枚目 8 7 0 再入幕
1991年1月 西前頭9枚目 6 9 0 -
1991年3月 東前頭13枚目 12 3 0 敢闘賞(初)、技能賞(初)
1991年5月 西前頭筆頭 9 6 0 殊勲賞(初)、金星(千代の富士)
1991年7月 西小結 11 4 0 殊勲賞(2)、技能賞(2)、新小結
1991年9月 西関脇 7 8 0 新関脇
1991年11月 東前頭筆頭 7 8 0 -
1992年1月 東前頭2枚目 14 1 0 優勝(初)、殊勲賞(3)、敢闘賞(2)、技能賞(3)
1992年3月 西関脇 5 10 0 -
1992年5月 西前頭2枚目 9 6 0 -
1992年7月 東張出小結 8 7 0 -
1992年9月 西小結 14 1 0 優勝(2)、殊勲賞(4)
1992年11月 西関脇 10 5 0 -
1993年1月 東関脇 11 4 0 -
1993年3月 東大関 11 4 0 新大関
1993年5月 東大関 14 1 0 優勝(3)
1993年7月 東大関 13 2 0 -
1993年9月 東大関 12 3 0 -
1993年11月 東大関 7 8 0 -
1994年1月 西大関 14 1 0 優勝(4)、角番
1994年3月 東大関 11 4 0 -
1994年5月 西大関 14 1 0 優勝(5)
1994年7月 東大関 11 4 0 -
1994年9月 西大関2 15 0 0 優勝(6)
1994年11月 東大関 15 0 0 優勝(7)
1995年1月 東橫綱 13 2 0 優勝(8)、新橫綱
1995年3月 東橫綱 13 2 0 -
1995年5月 西橫綱 14 1 0 優勝(9)
1995年7月 東橫綱 13 2 0 優勝(10)
1995年9月 東橫綱 15 0 0 優勝(11)
1995年11月 東橫綱 12 3 0 -
1996年1月 東橫綱 14 1 0 -
1996年3月 東橫綱 14 1 0 優勝(12)
1996年5月 東橫綱 14 1 0 優勝(13)
1996年7月 東橫綱 13 2 0 優勝(14)
1996年9月 東橫綱 15 0 0 優勝(15)
1996年11月 東橫綱 0 0 15 -
1997年1月 西橫綱 13 2 0 -
1997年3月 東橫綱 12 3 0 優勝(16)
1997年5月 東橫綱 13 2 0 -
1997年7月 東橫綱 13 2 0 優勝(17)
1997年9月 東橫綱 13 2 0 優勝(18)
1997年11月 東橫綱 14 1 0 -
1998年1月 東橫綱 8 5 2 -
1998年3月 西橫綱 1 4 10 -
1998年5月 西橫綱 10 5 0 -
1998年7月 西橫綱 14 1 0 優勝(19)
1998年9月 東橫綱 13 2 0 優勝(20)
1998年11月 東橫綱 12 3 0 -
1999年1月 東橫綱 8 7 0 -
1999年3月 西橫綱 8 3 4 -
1999年5月 東橫綱 0 0 15 -
1999年7月 西橫綱2 9 6 0 -
1999年9月 東橫綱2 0 3 12 -
1999年11月 西橫綱2 11 4 0 -
2000年1月 西橫綱 12 3 0 -
2000年3月 東橫綱 11 4 0 -
2000年5月 西橫綱 13 2 0 -
2000年7月 西橫綱 5 3 7 -
2000年9月 東橫綱2 0 0 15 -
2000年11月 東橫綱2 11 4 0 -
2001年1月 東橫綱 14 1 0 優勝(21)
2001年3月 東橫綱 12 3 0 -
2001年5月 東橫綱 13 2 0 優勝(22)
2001年7月 東橫綱 0 0 15 -
2001年9月 西橫綱 0 0 15 -
2001年11月 西橫綱 0 0 15 -
2002年1月 西橫綱 0 0 15 -
2002年3月 西橫綱 0 0 15 -
2002年5月 西橫綱 0 0 15 -
2002年7月 西橫綱 0 0 15 -
2002年9月 西橫綱 12 3 0 -
2002年11月 西橫綱 0 0 15 -
2003年1月 西橫綱 4 4 1 引退
通算 701 217 201 -

成績

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  • 總成績:794勝262敗201休
  • 幕內成績:701勝217敗201休
  • 優勝:22回
  • 連勝:30連勝
  • 三賞:殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞3回
  • 金星:1個(千代富士
  • 幕內在位:75場所
  • 橫綱在位:49場所
  • 大關以下的優勝回數:7回(明治以來的最佳紀錄)

場所別成績

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貴乃花光司
1月場所
初場所(東京
3月場所
春場所(大阪
5月場所
夏場所(東京)
7月場所
名古屋場所(愛知
9月場所
秋場所(東京)
11月場所
九州場所(福岡
1988年
(昭和63年)
x (前相撲) 東 序之口 #11
5–2
 
西 序二段 #101
6–1
 
西 序二段 #31
6–1
 
東 三段目 #74
5–2
 
1989年
(平成元年)
東 三段目 #41
5–2
 
西 三段目 #13
5–2
 
東 幕下 #48
優勝
7–0
東 幕下 #6
3–4
 
西 幕下 #9
優勝
7–0
西 十兩 #10
8–7
 
1990年
(平成2年)
西 十兩 #6
9–6
 
西 十兩 #3
9–6
 
東 前頭 #14
4–11
 
東 十兩 #5
8–7
 
東 十兩 #2
10–5
 
西 前頭 #12
8–7
 
1991年
(平成3年)
西 前頭 #9
6–9
 
東 前頭 #13
12–3
西 前頭 #1
9–6[3]
西 小結
11–4
西 關脇
7–8
 
東 前頭 #1
7–8
 
1992年
(平成4年)
東 前頭 #2
14–1
西 關脇
5–10
 
西 前頭 #2
9–6
 
東 張出小結
8–7
 
西 小結
14–1
西 關脇
10–5
 
1993年
(平成5年)
東 關脇
11–4
 
東 大關 #1
11–4
 
東 大關 #1
14–1
 
東 大關 #1
13–2[4]
 
東 大關 #1
12–3
 
東 大關 #1
7–8
 
1994年
(平成6年)
西 大關 #1
14–1[5]
 
東 大關 #1
11–4
 
西 大關 #1
14–1
 
東 大關 #1
11–4
 
西 大關 #2
15–0
 
東 大關 #1
15–0
 
1995年
(平成7年)
東 橫綱
13–2[6]
 
東 橫綱
13–2
 
西 橫綱
14–1
 
東 橫綱
13–2
 
東 橫綱
15–0
 
東 橫綱
12–3[7]
 
1996年
(平成8年)
東 橫綱
14–1[8]
 
東 橫綱
14–1
 
東 橫綱
14–1
 
東 橫綱
13–2
 
東 橫綱
15–0
 
東 橫綱
休場[9]
0–0–15
1997年
(平成9年)
西 橫綱
13–2
 
東 橫綱
12–3[10]
 
東 橫綱
13–2[11]
 
東 橫綱
13–2
 
東 橫綱
13–2[6]
 
東 橫綱
14–1[8]
 
1998年
(平成10年)
東 橫綱
8–5–2[12]
 
西 橫綱
1–4–10[13]
 
西 橫綱
10–5
 
西 橫綱
14–1
 
東 橫綱
13–2
 
東 橫綱
12–3
 
1999年
(平成11年)
東 橫綱
8–7
 
西 橫綱
8–3–4[14]
 
東 橫綱
休場[15]
0–0–15
西 橫綱 #2
9–6
 
東 橫綱 #2
0–3–12[16]
 
西 橫綱 #2
11–4
 
2000年
(平成12年)
西 橫綱
12–3
 
東 橫綱
11–4
 
西 橫綱
13–2
 
西 橫綱
5–3–7[17]
 
東 橫綱 #2
休場[18]
0–0–15
東 橫綱 #2
11–4
 
2001年
(平成13年)
東 橫綱 #2
14–1[6]
 
東 橫綱
12–3
 
東 橫綱
13–2[6]
 
東 橫綱
休場[19]
0–0–15
西 橫綱
休場[20]
0–0–15
西 橫綱
休場[20]
0–0–15
2002年
(平成14年)
西 橫綱
休場[20]
0–0–15
西 橫綱
休場[20]
0–0–15
西 橫綱
休場[20]
0–0–15
西 橫綱
休場[21]
0–0–15
西 橫綱
12–3
 
西 橫綱
休場[22]
0–0–15
2003年
(平成15年)
西 橫綱
引退
4–4–1[23]
x x x x x
各欄數字按「勝-負-休場」表示。    優勝 引退 十兩・幕下

三賞=敢鬬賞、=殊勛賞、=技能賞     其他:=金星
番付階級幕內 - 十兩 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序之口

幕內序列橫綱 - 大關 - 關脅 - 小結 - 前頭(「#數字」為出場順序)
場所 地位 勝數 敗數 休場 備考
平成2年5月 東前頭14枚目 4 11 0 新入幕
平成2年11月 西前頭12枚目 8 7 0 再入幕
平成3年1月 西前頭9枚目 6 9 0 -
平成3年3月 東前頭13枚目 12 3 0 敢闘賞(初)、技能賞(初)
平成3年5月 西前頭筆頭 9 6 0 殊勲賞(初)、金星(千代の富士)
平成3年7月 西小結 11 4 0 新小結、殊勲賞(2)、技能賞(2)
平成3年9月 西関脇 7 8 0 新関脇
平成3年11月 東前頭筆頭 7 8 0 -
平成4年1月 東前頭2枚目 14 1 0 優勝(初)、殊勲賞(3)、敢闘賞(2)、技能賞(3)
平成4年3月 西関脇 5 10 0 -
平成4年5月 西前頭2枚目 9 6 0 -
平成4年7月 東張出小結 8 7 0 -
平成4年9月 西小結 14 1 0 優勝(2)、殊勲賞(4)
平成4年11月 西関脇 10 5 0 -
平成5年1月 東関脇 11 4 0 -
平成5年3月 東大関 11 4 0 新大関
平成5年5月 東大関 14 1 0 優勝(3)
平成5年7月 東大関 13 2 0 優勝同點
平成5年9月 東大関 12 3 0 -
平成5年11月 東大関 7 8 0 -
平成6年1月 西大関 14 1 0 大関角番、優勝(4)
平成6年3月 東大関 11 4 0 -
平成6年5月 西大関 14 1 0 優勝(5)
平成6年7月 東大関 11 4 0 -
平成6年9月 西大関2 15 0 0 全勝優勝(6)
平成6年11月 東大関 15 0 0 全勝優勝(7)
平成7年1月 東橫綱 13 2 0 新橫綱優勝(8)
平成7年3月 東橫綱 13 2 0 -
平成7年5月 西橫綱 14 1 0 優勝(9)
平成7年7月 東橫綱 13 2 0 優勝(10)
平成7年9月 東橫綱 15 0 0 全勝優勝(11)
平成7年11月 東橫綱 12 3 0 優勝同點
平成8年1月 東橫綱 14 1 0 優勝同點
平成8年3月 東橫綱 14 1 0 優勝(12)
平成8年5月 東橫綱 14 1 0 優勝(13)
平成8年7月 東橫綱 13 2 0 優勝(14)
平成8年9月 東橫綱 15 0 0 全勝優勝(15)
平成8年11月 東橫綱 0 0 15 全休
平成9年1月 西橫綱 13 2 0 -
平成9年3月 東橫綱 12 3 0 優勝(16)
平成9年5月 東橫綱 13 2 0 優勝同點
平成9年7月 東橫綱 13 2 0 優勝(17)
平成9年9月 東橫綱 13 2 0 優勝(18)
平成9年11月 東橫綱 14 1 0 優勝同點
平成10年1月 東橫綱 8 5 2 途中休場
平成10年3月 西橫綱 1 4 10 途中休場
平成10年5月 西橫綱 10 5 0 -
平成10年7月 西橫綱 14 1 0 優勝(19)
平成10年9月 東橫綱 13 2 0 優勝(20)
平成10年11月 東橫綱 12 3 0 -
平成11年1月 東橫綱 8 7 0 -
平成11年3月 西橫綱 8 3 4 途中休場
平成11年5月 東橫綱 0 0 15 全休
平成11年7月 西橫綱2 9 6 0 -
平成11年9月 東橫綱2 0 3 12 途中休場
平成11年11月 西橫綱2 11 4 0 -
平成12年1月 西橫綱 12 3 0 -
平成12年3月 東橫綱 11 4 0 -
平成12年5月 西橫綱 13 2 0 -
平成12年7月 西橫綱 5 3 7 途中休場
平成12年9月 東橫綱2 0 0 15 全休
平成12年11月 東橫綱2 11 4 0 -
平成13年1月 東橫綱2 14 1 0 優勝(21)
平成13年3月 東橫綱 12 3 0 -
平成13年5月 東橫綱 13 2 0 優勝(22)
平成13年7月 東橫綱 0 0 15 全休
平成13年9月 西橫綱 0 0 15 全休
平成13年11月 西橫綱 0 0 15 全休
平成14年1月 西橫綱 0 0 15 全休
平成14年3月 西橫綱 0 0 15 全休
平成14年5月 西橫綱 0 0 15 全休
平成14年7月 西橫綱 0 0 15 全休
平成14年9月 西橫綱 12 3 0 -
平成14年11月 西橫綱 0 0 15 全休
平成15年1月 西橫綱 4 4 1 途中休場・再出場、引退
通算 701 217 201 -

相關條目

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參考資料

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  1. ^ 「節目をつけたかった」貴乃花引退会見(後篇). スポーツナビ. 2003-01-20 [2012-07-10]. (原始內容存檔於2003-08-03). 
  2. ^ 横綱 貴乃花 栄光の軌跡 若乃花 曙 武蔵丸 二子山部屋. [2018-09-05]. (原始內容存檔於2021-01-12). 
  3. ^ 千代の富士戦で金星
  4. ^ 若ノ花(のち3代・若乃花)と優勝決定戦
  5. ^ 角番(全1回)
  6. ^ 6.0 6.1 6.2 6.3 武藏丸と優勝決定戦
  7. ^ 3代・若乃花と優勝決定戦
  8. ^ 8.0 8.1 貴ノ浪と優勝決定戦
  9. ^ 急性腸炎により全休。
  10. ^ 曙・武蔵丸・魁皇と優勝決定戦
  11. ^ 曙と優勝決定戦
  12. ^ 急性上気道炎・肝機能障害により13日目から途中休場
  13. ^ 肝機能障害により5日目から途中休場
  14. ^ 右肩鎖関節亜脫臼・右肩胛骨骨折により11日目から途中休場
  15. ^ 右肩三角筋挫傷・右肩鎖関節亜脫臼・右肩板部分損傷により全休
  16. ^ 左第 4指PIP関節脫臼・陳舊性総指伸筋腱(IV)中央索損傷により3日目から途中休場
  17. ^ 上腕二頭筋短頭筋部分斷裂により8日目から途中休場
  18. ^ 左上腕二頭筋腱損傷により全休
  19. ^ 右膝外側半月板損傷疑により全休
  20. ^ 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 右膝外科手術後により全休
  21. ^ 筋力強化不足により全休
  22. ^ 右膝外側半月板損傷により全休
  23. ^ 左肩鎖靱帯損傷により3日目から途中休場、5日目から再出場、9日目に引退

外部連結

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