日本江戶時代年號列表
外觀
日本自第三十六代孝德天皇即位並建元大化起開始使用年號(日語:元号/げんごう Gengō)為其紀年方式,並在文武天皇於701年5月3日(大寶元年三月二十一日)再度恢復使用年號後,一直持續使用年號至今。日本的年號常取中國古籍中的辭句為典故,而改元的原因除天皇即位外,多數出於迷信及牽強附會。因天皇即位而進行的改元通常在天皇即位翌年進行,但有時候也會因為亂世而不在天皇即位翌年改元。日本自醍醐天皇起開始因「辛酉革命」的緣故在辛酉年進行改元(當時為901年,由昌泰四年改元延喜),並自村上天皇起開始因「甲子革令」的緣故在甲子年進行改元(當時為964年,改元康保)。日本自醍醐天皇起也會因災禍等不祥之事而改元(當時為923年,改元延長)[1]。
自平安時代中期(天德、應和年間)起,改元之事均載於改元宸記中,而改元的程序也確立為先由大臣上奏年號勘文,然後天皇於選定會議中決定新年號。自江戶時代起,幕府開始參與改元事務[2],而幕府所頒佈的《禁中並公家諸法度》第八條規定「改元,漢朝年號之內,以吉例可相定;但重而於習禮相熟者,可為本朝光規之作法事」[3]即為其始。此前,改元於朝廷通知幕府後,於公達日召集大名與旗本宣佈改元時即生效。然而,在江戶時代,實際執行改元決策的權力轉移至幕府,而朝廷在通知幕府改元後,改元須先經幕府在江戶城向諸大名宣告,然後幕府自江戶遣使向町奉行通知,町奉行再於町觸上予以宣告後方得生效,而文武百官與庶民就算知道朝廷有意改元,在町觸發佈改元宣告前都不能逕自先行使用新年號[4]。
以下列表僅收錄江戶時代啓用的日本年號。以下列表中,各年號的使用期與典故主要出自小學館出版的《日本大百科全書》,而每個年號的典故都分別附上維基文庫的文本連結供參考。
列表
[編輯]年號 | 使用期 (西曆年月日) |
使用期 (和曆年月日) |
在位天皇 | 改元理由 | 典故 | 參考 來源 |
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元和 | 1615年9月5日 - 1624年4月16日 |
元年七月十三日 - 十年二月二十九日 |
後水尾天皇 | 後水尾天皇即位 | 唐憲宗的同名年號「元和」[5] | [6] |
寬永 | 1624年4月17日 - 1645年1月12日 |
元年二月三十日 - 二十一年十二月十五日 |
甲子革令 | 《詩集傳·考槃》:「寬、廣。永、長。」[7] | [8] | |
明正天皇 | ||||||
後光明天皇 | ||||||
正保 | 1645年1月13日 - 1648年4月6日 |
元年十二月十六日 - 五年二月十四日 |
後光明天皇即位 | 《尚書·商書·說命下》、《尚書正義·君奭》[註 1]:「正保衡……佑[註 2]我烈祖,格於皇天。」[12][11] | [9][10] | |
慶安 | 1648年4月7日 - 1652年10月19日 |
元年二月十五日 - 五年九月十七日 |
御慎[註 3] | 《周易·坤》:「乃終有慶。安貞之吉,應地无疆。」[14][註 4] | [16] | |
承應 | 1652年10月20日 - 1655年5月17日 |
元年九月十八日 - 四年四月十二日 |
(無) | 《晉書·律曆志中》:「夏殷[註 5]承運,周氏應期。」[19] | [20] | |
後西天皇 | ||||||
明曆 | 1655年5月18日 - 1658年8月20日 |
元年四月十三日 - 四年七月二十二日 |
後西天皇即位 | [22][17] | ||
萬治 | 1658年8月21日 - 1661年5月22日 |
元年七月二十三日 - 四年四月二十四日 |
江戶大火 | 《史記·夏本紀》:「眾民乃定,萬國爲治。」[24] | [25] | |
寬文 | 1661年5月23日 - 1673年10月29日 |
元年四月二十五日 - 十三年九月二十日 |
內裏火災 | 《荀子·致士》:「節奏陵而文,生民寬而安。上文下安,功名之極也。」[26] | [27] | |
靈元天皇 | ||||||
延寶 | 1673年10月30日 - 1681年11月8日 |
元年九月二十一日 - 九年九月二十八日 |
內裏火災 | 《隋書·音樂中》:「分四序,綴三光。延寶祚,眇[註 9]無疆。」[30] | [28][29] | |
天和 | 1681年11月9日 - 1684年4月4日 |
元年九月二十九日 - 四年二月二十日 |
辛酉革命 | 《後漢書·桓帝紀》:「天人協和,萬國咸寧。」[31] | [32] | |
貞享 | 1684年4月5日 - 1688年10月22日 |
元年二月二十一日 - 五年九月二十九日 |
甲子革令 | 《周易·益》:「永貞吉。王用享於帝。吉。」[33] | [34] | |
東山天皇 | ||||||
元祿 | 1688年10月23日 - 1704年4月15日 |
元年九月三十日 - 十七年三月十二日 |
東山天皇即位 | 《宋史·禮七》:「惠綏黎元,懋建皇極,天祿無疆。」[35] | [36] | |
寶永 | 1704年4月16日 - 1711年6月10日 |
元年三月十三日 - 八年四月二十四日 |
關東大地震 | 《舊唐書·音樂三》:「寶祚惟永,暉光日新。」[37] | [38] | |
中御門天皇 | ||||||
正德 | 1711年6月11日 - 1716年8月8日 |
元年四月二十五日 - 六年六月二十一日 |
中御門天皇即位 | 《尚書·虞書·大禹謨》:「正德、利用、厚生、惟和。」[39] | [40] | |
享保 | 1716年8月9日 - 1736年6月6日 |
元年六月二十二日 - 二十一年四月二十七日 |
變異 | 《周書·孝閔帝紀》[註 10]:「享茲大命,保有萬國。」[43] | [41][42] | |
櫻町天皇 | ||||||
元文 | 1736年6月7日 - 1741年4月11日 |
元年四月二十八日 - 六年二月二十六日 |
櫻町天皇即位 | 《文選·景福殿賦》:「武創元基,文集大命。皆體天作制,順時立政。」[44] | [45] | |
寬保 | 1741年4月12日 - 1744年4月2日 |
元年二月二十七日 - 四年二月二十日 |
辛酉革命 | 《國語·周語中》:「寬所以保本也。」[46] | [47] | |
延享 | 1744年4月3日 - 1748年8月4日 |
元年二月二十一日 - 五年七月十一日 |
甲子革令 | 《藝文類聚·天部上》:「聖主壽延,享祚元吉。自天之祐,莫不抃舞。」[48] | [49] | |
桃園天皇 | ||||||
寬延 | 1748年8月5日 - 1751年12月13日 |
元年七月十二日 - 四年十月二十六日 |
桃園天皇即位 | 《文選·聖主得賢臣頌》:「開寬裕之路,以延天下之英俊也。」[50] | [51] | |
寶曆 | 1751年12月14日 - 1764年6月29日 |
元年十月二十七日[註 11] - 十四年六月初一日 |
變異 | 《貞觀政要·誠信》:「及恭承寶歷[註 12],寅奉帝圖,垂拱無為,氛埃靖息。」[54] | [53][52] | |
後櫻町天皇 | ||||||
明和 | 1764年6月30日 - 1772年12月10日 |
元年六月初二日 - 九年十一月十五日 |
後櫻町天皇即位 | [58] | ||
後桃園天皇 | ||||||
安永 | 1772年12月10日 - 1781年4月24日 |
元年十一月十六日 - 十年四月初一日 |
關東大火大風 | 《文選·東京賦》:「天祿宣明。溫飭迎春,壽安永寧。[註 14]」[60] | [59] | |
光格天皇 | ||||||
天明 | 1781年4月25日 - 1789年2月18日 |
元年四月初二日 - 九年正月二十四日 |
光格天皇即位 | 《尚書·商書·太甲上》:「先王顧諟天之[註 15]明命。」[62] | [61] | |
寬政 | 1789年2月19日 - 1801年3月18日 |
元年正月二十五日 - 十三年二月初四日[註 16] |
內裏火災 | 《左傳·昭公二十年》:「施之以寬。寬以濟猛,猛以濟寬,政是以和。」[64] | [65][63] | |
享和 | 1801年3月19日 - 1804年3月21日 |
元年二月初五日 - 四年二月初十日 |
辛酉革命 | 《文選·晉紀總論》:「順乎天而享其運,應乎人而和其義。」[66] | [67] | |
文化 | 1804年3月22日 - 1818年5月25日 |
元年二月十一日 - 十五年四月二十一日 |
甲子革令 | [70][68] | ||
仁孝天皇 | ||||||
文政 | 1818年5月26日 - 1831年1月22日 |
元年四月二十二日 - 十三年十二月初九日 |
(無) | 《尚書注·舜典》:「舜察天文,齊七政。」[72][註 19] | [74] | |
天保 | 1831年1月23日 - 1845年1月8日 |
元年十二月初十日 - 十五年十二月初一日 |
地震 災異 |
《尚書·商書·仲虺之誥》:「欽崇天道,永保天命。」[75][註 20] | [77] | |
弘化 | 1845年1月9日 - 1848年3月31日 |
元年十二月初二日 - 五年二月二十七日 |
江戶城火災 | 《尚書·周書·周官》:「貳[註 21]公弘化,寅亮天地。」[79] | [78] | |
孝明天皇 | ||||||
嘉永 | 1848年4月1日 - 1855年1月14日 |
元年二月二十八日 - 七年十一月二十六日 |
(無) | 《宋書·樂二》:「思皇享[註 22]多祜[註 23],嘉樂永無央。」[82] | [81][80] | |
安政 | 1855年1月15日 - 1860年4月7日 |
元年十一月二十七日 - 七年三月十七日 |
內裏火災 地震 異國船渡來 |
《羣書治要·卷第三十八》:「庶人安政,然後君子安位矣。」[83] | [84] | |
萬延 | 1860年4月8日 - 1861年3月28日 |
元年三月十八日 - 二年二月十八日 |
江戶城火災 外患 疫疾 |
《後漢書·馬融列傳》:「豐千億之子孫,歷萬載而永延。」[85][註 24] | [87] | |
文久 | 1861年3月29日 - 1864年3月26日 |
元年二月十九日 - 四年二月十九日 |
辛酉革命 | 《後漢書·儒林列傳》:「故能文武並用,成長久之計。」[88] | [89] | |
元治 | 1864年3月27日 - 1865年4月30日 |
元年二月二十日 - 二年四月初六日 |
甲子革令 | 《周易·乾》:「乾元用九,天下治也。」[90] | [91] | |
慶應 | 1865年5月1日 - 1868年10月22日 |
元年四月初七日 - 四年九月初七日 |
京都兵亂 世間不穩 |
《文選·漢高祖功臣頌》:「慶雲應輝,皇階授木。」[92] | [93] | |
明治天皇 |
註釋
[編輯]- ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均稱典出《尚書正義》[9][10],《尚書正義·君奭》對應引文稱引自《尚書·商書·說命》[11],《尚書·商書·說命下》亦有對應引文[12]。
- ^ 《日本大百科全書》作「佐」[9],《日本年號大觀》則一處作「佐」、一處作「佑」[10]。
- ^ 「御慎」指後光明天皇因「正保」於日語與「燒亡」發音相近而改元一事。[13]
- ^ 後堀河天皇的年號「安貞」也以此句為典故。[15]
- ^ 《日本年號大觀》作「商」[17],「殷」為商朝的別稱[18]。
- ^ 《日本年號大觀》作通假字「歷」。[17]
- ^ 《日本大百科全書》將此句誤作同為《漢書》所出。[22]
- ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均於「黃帝造歷」四字後多出「歷與曆同作」五字。[22][17]
- ^ 《日本大百科全書》作「渺」[28],《日本年號大觀》則缺「眇」字[29]。
- ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均誤作另一史書《後漢書》。[41][42]
- ^ 《日本年號大觀》誤作前一年號「寬延」的改元日期「七月十二日」。[52]
- ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「曆」。[53][52]
- ^ 13.0 13.1 昭和天皇的年號「昭和」也以此句為典故。[56]
- ^ 《日本大百科全書》誤置「壽安永寧」於「天祿宣明」前。[59]
- ^ 《日本大百科全書》缺「之」字。[61]
- ^ 《日本年號大觀》作「五日」。[63]
- ^ 《日本年號大觀》作「于」。[68]
- ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均缺第二個「以」字。[70][68]
- ^ 後奈良天皇的年號「天文」也以此句為典故。[73]
- ^ 白河天皇的年號「永保」也以此句為典故。[76]
- ^ 《日本大百科全書》作「弍」。[78]
- ^ 《日本年號大觀》誤作「亨」。[80]
- ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「祐」。[81][80]
- ^ 一條天皇的年號「永延」也以此句為典故。[86]
參考資料
[編輯]- ^ 森本 1933,第3, 7-8, 10-12, 160頁.
- ^ 森本 1933,第15, 24, 39頁.
- ^ 禁中並公家諸法度. 維基文庫. 1615-09-09.
- ^ 久保 1998,第241-242頁.
- ^ 劉昫. 憲宗紀上. 維基文庫, 14.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後水尾(ごみずのお)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕慶長(けいちょう)20年(1615)7月13日元和と改元、元和10年(1624)2月30日寛永(かんえい)と改む〔出典〕唐の憲宗のときの年号による.
- ^ 朱熹. 卷之二. 維基文庫, 2.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後水尾(ごみずのお)、明正(めいしょう)、後光明(ごこうみょう)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕元和(げんな)10年(1624)2月30日寛永と改元、寛永21年(1644)12月16日正保(しょうほう)と改む〔出典〕『詩経』朱子(しゅし)注の「寛広、永長」による.
- ^ 9.0 9.1 9.2 小學館 1994,〔天皇〕後光明(ごこうみょう)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕寛永(かんえい)21年(1644)12月16日正保と改元、正保5年(1648)2月15日慶安(けいあん)と改む〔出典〕『尚書正義』の「正保衡、佐我烈祖格于皇天」による.
- ^ 10.0 10.1 10.2 森本 1933,第271頁.
- ^ 11.0 11.1 孔穎達. 卷第十六. 維基文庫, 16.
- ^ 12.0 12.1 說命下. 維基文庫.
- ^ 久保 1998,第63頁.
- ^ 坤. 維基文庫, 2.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行による〔改元年月日〕嘉禄(かろく)3年(1227)12月10日安貞と改元、安貞3年(1229)3月5日寛喜(かんき)と改む〔出典〕『易経』上経坤(こん)の「乃終有慶、安貞之吉、応地无疆」による.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後光明(ごこうみょう)〔改元理由〕御慎による〔改元年月日〕正保(しょうほう)5年(1648)2月15日慶安と改元、慶安5年(1652)9月18日承応(じょうおう)と改む〔出典〕『易経』彖(たん)上伝の「乃終有慶、安貞之吉応地無疆」による.
- ^ 17.0 17.1 17.2 17.3 森本 1933,第272頁.
- ^ 胡厚宣; 胡振宇. 中国断代史系列—殷商史. 上海: 上海人民出版社. 2003: 11-14. ISBN 978-7-208-04584-2.
- ^ 房玄齡. 律曆志中. 維基文庫, 17.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後光明(ごこうみょう)、後西(ごさい)〔改元理由〕不明〔改元年月日〕慶安(けいあん)5年(1652)9月18日承応と改元、承応4年(1655)4月13日明暦(めいれき)と改む〔出典〕『晋書(しんじょ)』巻17律歴志の「夏殷承運、周氏応期」による.
- ^ 班固. 律曆志. 維基文庫, 21.
- ^ 22.0 22.1 22.2 小學館 1994,〔天皇〕後西(ごさい)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕承応(じょうおう)4年(1655)4月13日明暦と改元、明暦4年(1658)7月23日万治(まんじ)と改む〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻21律歴志の「箕子言、大法九章、而五紀明暦法」、「黄帝造歴、歴與暦同作」による.
- ^ 司馬彪. 律曆下. 維基文庫, 93.
- ^ 司馬遷. 夏本紀. 維基文庫, 2.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後西(ごさい)〔改元理由〕江戸大火による〔改元年月日〕明暦(めいれき)4年(1658)7月23日万治と改元、万治4年(1661)4月25日寛文(かんぶん)と改む〔出典〕『史記』巻2夏本紀の「衆民乃定、万国為治」による.
- ^ 荀子. 致士篇. 維基文庫, 14.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後西(ごさい)、霊元(れいげん)〔改元理由〕内裏(だいり)炎上など火災による〔改元年月日〕万治(まんじ)4年(1661)4月25日寛文と改元、寛文13年(1673)9月21日延宝(えんぽう)と改む〔出典〕『荀子(じゅんし)』巻第9致士篇の「節奏陵而文、生民寛而安、上文下安、功名之極也」による.
- ^ 28.0 28.1 小學館 1994,〔天皇〕霊元(れいげん)〔改元理由〕内裏(だいり)炎上などによる〔改元年月日〕寛文(かんぶん)13年(1673)9月21日延宝と改元、延宝9年(1681)9月29日天和(てんな)と改む〔出典〕『隋書(ずいしょ)』巻14音楽志の「分四序、綴三光、延宝祚、渺無疆」による.
- ^ 29.0 29.1 森本 1933,第274頁.
- ^ 魏徵. 音樂中. 維基文庫, 14.
- ^ 范曄. 桓帝紀. 維基文庫, 7.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕霊元(れいげん)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕延宝(えんぽう)9年(1681)9月29日天和と改元、天和4年(1684)2月21日貞享(じょうきょう)と改む〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻7桓帝紀の「天人協和、万国咸寧」による.
- ^ 益. 維基文庫, 42.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕霊元(れいげん)、東山(ひがしやま)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕天和(てんな)4年(1684)2月21日貞享と改元、貞享5年(1688)9月30日元禄(げんろく)と改む〔出典〕『易経』益卦(えきか)の「永貞吉、王用享于帝吉」による.
- ^ 脫脫. 禮七. 維基文庫, 104.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕東山(ひがしやま)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕貞享(じょうきょう)5年(1688)9月30日元禄と改元、元禄17年(1704)3月13日宝永(ほうえい)と改む〔出典〕『宋史(そうし)』巻104の「恵綏黎元、懋建皇極、天禄無疆」による.
- ^ 劉昫. 音樂三. 維基文庫, 30.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕東山(ひがしやま)、中御門(なかみかど)〔改元理由〕関東の大地震による〔改元年月日〕元禄(げんろく)17年(1704)3月13日宝永と改元、宝永8年(1711)4月25日正徳(しょうとく)と改む〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻30音楽志の「宝祚惟永、暉光日新」による.
- ^ 大禹謨. 維基文庫.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕中御門(なかみかど)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕宝永(ほうえい)8年(1711)4月25日正徳と改元、正徳6年(1716)6月22日享保(きょうほう)と改む〔出典〕『書経』大禹謨(たいうぼ)の「正徳利用、厚生惟和」によるという.
- ^ 41.0 41.1 小學館 1994,〔天皇〕中御門(なかみかど)、桜町(さくらまち)〔改元理由〕変異による〔改元年月日〕正徳(しょうとく)6年(1716)6月22日享保と改元、享保21年(1736)4月28日元文(げんぶん)と改む〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』の「享茲大命、保有万国」によるという.
- ^ 42.0 42.1 森本 1933,第279頁.
- ^ 令狐德棻. 孝閔帝紀. 維基文庫, 3.
- ^ 何晏. 景福殿賦. 維基文庫, 11.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕桜町(さくらまち)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕享保(きょうほう)21年(1736)4月28日元文と改元、元文6年(1741)2月27日寛保(かんほう)と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻3の「武創元基、文集大命、皆体天作制、順時立政」による.
- ^ 左丘明. 周語中. 維基文庫, 2.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕桜町(さくらまち)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕元文(げんぶん)6年(1741)2月27日寛保と改元、寛保4年(1744)2月21日延享(えんきょう)と改む〔出典〕『国語』巻2周語の「寛所以保本也」による.
- ^ 歐陽詢. 天部上. 維基文庫, 1.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕桜町(さくらまち)、桃園(ももぞの)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕寛保(かんほう)4年(1744)2月21日延享と改元、延享5年(1748)7月12日寛延(かんえん)と改む〔出典〕『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻1の「聖主寿延、享祚元吉、自天之祐、莫不抃舞」による.
- ^ 王褒. 聖主得賢臣頌. 維基文庫, 47.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕桃園(ももぞの)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕延享(えんきょう)5年(1748)7月12日寛延と改元、寛延4年(1751)10月27日宝暦(ほうれき)と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10の「開寛裕之路、以延天下之英俊也」による.
- ^ 52.0 52.1 52.2 森本 1933,第280頁.
- ^ 53.0 53.1 小學館 1994,〔天皇〕桃園(ももぞの)、後桜町(ごさくらまち)〔改元理由〕変異による〔改元年月日〕寛延(かんえん)4年(1751)10月27日宝暦と改元、宝暦14年(1764)6月2日明和(めいわ)と改む〔出典〕『貞観(じょうがん)政要』巻5論誠信の「及恭承宝暦、夤奉帝図、垂拱無為、氛埃靖息」による.
- ^ 吳兢. 誠信第十七. 維基文庫, 5.
- ^ 堯典. 維基文庫.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕昭和〔改元理由〕大正天皇の崩御、裕仁(ひろひと)親王の践祚(せんそ)による〔改元年月日〕大正15年(1926)12月25日昭和と改元、昭和64年(1989)1月8日平成(へいせい)と改む〔出典〕『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」、『史記』五帝本紀の「百姓昭明、合和万国」による.
- ^ 司馬遷. 五帝本紀. 維基文庫, 1.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後桜町(ごさくらまち)、後桃園(ごももぞの)〔改元理由〕後桜町天皇の即位による〔改元年月日〕宝暦(ほうれき)14年(1764)6月2日明和と改元、明和9年(1772)11月16日安永(あんえい)と改む〔出典〕『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」、『史記』巻1五帝本紀の「百姓昭明、合和万国」による.
- ^ 59.0 59.1 小學館 1994,〔天皇〕後桃園(ごももぞの)、光格(こうかく)〔改元理由〕関東の大火大風による〔改元年月日〕明和(めいわ)9年(1772)11月16日安永と改元、安永10年(1781)4月2日天明(てんめい)と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻1東京(とうけい)賦の「寿安永寧、天禄宣明、温飾迎春」などによる.
- ^ 張衡. 東京賦. 維基文庫, 3.
- ^ 61.0 61.1 小學館 1994,〔天皇〕光格(こうかく)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕安永(あんえい)10年(1781)4月2日天明と改元、天明9年(1789)1月25日寛政(かんせい)と改む〔出典〕『書経』太甲上の「先王顧諟天明命」による.
- ^ 太甲上. 維基文庫.
- ^ 63.0 63.1 森本 1933,第285頁.
- ^ 左丘明. 昭公二十年. 維基文庫, 10.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕光格(こうかく)〔改元理由〕内裏(だいり)炎上などによる〔改元年月日〕天明(てんめい)9年(1789)1月25日寛政と改元、寛政13年(1801)2月5日享和(きょうわ)と改む〔出典〕『左伝』昭公20年の「施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和」による.
- ^ 干寶. 晉紀總論. 維基文庫, 49.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕光格(こうかく)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕寛政(かんせい)13年(1801)2月5日享和と改元、享和4年(1804)2月11日文化(ぶんか)と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻11晋紀総論の「順乎天而享其運、応乎人而和其義」による.
- ^ 68.0 68.1 68.2 森本 1933,第287頁.
- ^ 賁. 維基文庫, 22.
- ^ 70.0 70.1 小學館 1994,〔天皇〕光格(こうかく)、仁孝(にんこう)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕享和(きょうわ)4年(1804)2月11日文化と改元、文化15年(1818)4月22日文政(ぶんせい)と改む〔出典〕『易経』賁卦(ひか)、彖(たん)上伝の「観乎天文以察時変、観乎人文以化成天下」、『後漢書(ごかんじょ)』巻92荀悦(じゅんえつ)伝の「宣文教以章其化、立武備、以秉其威」による.
- ^ 范曄. 荀韓鍾陳列傳. 維基文庫, 62.
- ^ 孔安國. 卷第三. 維基文庫, 3.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕後奈良(ごなら)〔改元理由〕兵革による〔改元年月日〕享禄(きょうろく)5年(1532)7月29日天文と改元、天文24年(1555)10月23日弘治(こうじ)と改む〔出典〕『書経』舜(しゅん)典の「以斉七政」の注「舜察天文、斉七政」による.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕仁孝(にんこう)〔改元理由〕不明〔改元年月日〕文化(ぶんか)15年(1818)4月22日文政と改元、文政13年(1830)12月10日天保(てんぽう)と改む〔出典〕『書経』舜(しゅん)典の注「舜察天文、斉七政」による.
- ^ 仲虺之誥. 維基文庫.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕白河(しらかわ)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕承暦(じょうりゃく)5年(1081)2月10日永保と改元、永保4年(1084)2月7日応徳(おうとく)と改む〔出典〕『書経』仲虺之誥(ちゅうきのこう)の「欽崇天道、永保天命」、同梓材(しざい)の「惟王子子孫孫、永保民人」による.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕仁孝(にんこう)〔改元理由〕地震など災異による〔改元年月日〕文政(ぶんせい)13年(1830)12月10日天保と改元、天保15年(1844)12月2日弘化(こうか)と改む〔出典〕『書経』仲虺之誥(ちゅうきのこう)の「欽崇天道、永保天命」による.
- ^ 78.0 78.1 小學館 1994,〔天皇〕仁孝(にんこう)、孝明(こうめい)〔改元理由〕江戸城の火災による〔改元年月日〕天保(てんぽう)15年(1844)12月2日弘化と改元、弘化5年(1848)2月28日嘉永(かえい)と改む〔出典〕『書経』周官の「弍公弘化、寅亮天地」による.
- ^ 周官. 維基文庫.
- ^ 80.0 80.1 80.2 森本 1933,第289頁.
- ^ 81.0 81.1 小學館 1994,〔天皇〕孝明(こうめい)〔改元理由〕不明〔改元年月日〕弘化(こうか)5年(1848)2月28日嘉永と改元、嘉永7年(1854)11月27日安政(あんせい)と改む〔出典〕『宋書(そうじょ)』巻20楽志の「思皇享多祐、嘉楽永無央」による.
- ^ 沈約. 樂二. 維基文庫, 20.
- ^ 魏徵. 卷第三十八. 維基文庫, 38.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕孝明(こうめい)〔改元理由〕内裏(だいり)炎上、地震、異国船渡来などによる〔改元年月日〕嘉永(かえい)7年(1854)11月27日安政と改元、安政7年(1860)3月18日万延(まんえん)と改む〔出典〕『群書治要』巻38の「庶人安政、然後君子安位矣」による.
- ^ 范曄. 馬融列傳. 維基文庫, 60上.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕一条(いちじょう)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕寛和(かんな)3年(987)4月5日永延と改元、永延3年(989)8月8日永祚(えいそ)と改む〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻75翼李(よくり)伝の「永世延祚、不亦優乎」、『後漢書(ごかんじょ)』巻90馬融伝の「豊千億之子孫、歴万載而永延」などによる.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕孝明(こうめい)〔改元理由〕江戸城火災、外患、疫疾による〔改元年月日〕安政(あんせい)7年(1860)3月18日万延と改元、万延2年(1861)2月19日文久(ぶんきゅう)と改む〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻90馬融伝の「豊千億之子孫、歴万載而永延」による.
- ^ 范曄. 儒林列傳. 維基文庫, 79下.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕孝明(こうめい)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕万延(まんえん)2年(1861)2月19日文久と改元、文久4年(1864)2月20日元治(げんじ)と改む〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻79謝該伝の「故能文武並用、成長久之計」による.
- ^ 乾. 維基文庫, 1.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕孝明(こうめい)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕文久(ぶんきゅう)4年(1864)2月20日元治と改元、元治2年(1865)4月7日慶応(けいおう)と改む〔出典〕『易経』乾卦(けんか)の「乾元用九天下治也」による.
- ^ 陸機. 漢高祖功臣頌. 維基文庫, 47.
- ^ 小學館 1994,〔天皇〕孝明(こうめい)、明治(めいじ)〔改元理由〕京都兵乱、世間不穏による〔改元年月日〕元治(げんじ)2年(1865)4月7日慶応と改元、慶応4年(1868)9月8日明治と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10の「慶雲応輝、皇階授木」による.
參考書籍
[編輯]- 森本角藏. 日本年號大觀. 東京: 目黑書店. 1933-07-01. doi:10.11501/1688696.
- 日本年号一覧. 日本大百科全書. 小學館. 1994-01-20 [2021-11-01]. (原始內容存檔於2021-03-23).
- 久保貴子. 近世の朝廷運営 朝幕関係の展開. 岩田書院. 1998 [2021-11-01]. ISBN 978-4-87294-115-9. (原始內容存檔於2021-10-09).
參見
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