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漆川梁海戰

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漆川梁海戰
萬曆朝鮮之役的一部分
日期1597年8月27日
地點
結果 日本決定性勝利
參戰方
日本 朝鮮
指揮官與領導者
藤堂高虎
脇坂安治
加藤嘉明
菅達長
島津義弘
小西行長
元均 
裴楔
李億祺 
崔湖 
兵力
140,000人[1]
500至1000艘戰艦
169艘戰艦[1]
傷亡與損失
輕微 損失157艘戰艦[1]

漆川梁海戰是發生在1597年8月27日萬曆朝鮮戰爭期間,巨濟島海域的一場海戰,交戰雙方為日本水軍與朝鮮水師,最後朝鮮水師覆沒。

經過

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6月18日朝鮮水師都體察使李元翼命令元均率水師攻擊日本,6月19日元均的艦隊攻打安骨浦加德島,與日本艦隊發生海戰,元均30艘戰艦被擊沈,艦隊逃回閑山島

七月初(1597年7月7日)元均再次出擊,為了補給水與物資而登陸加徳島,卻遭受高橋統增筑紫廣門等部隊的奇襲,再次敗下陣來,元均被都元帥權慄痛斥,並且判刑杖罰。

7月14日、再次從閑山島的本營出擊,15夜晚停留在巨濟島跟漆川島之間的漆川梁。得到消息的日本水軍決定主動出擊,藤堂高虎率領水軍從海上包圍朝鮮水師,而島津義弘小西行長率陸軍狙擊逃亡的朝鮮士兵,海戰一爆發朝鮮水師便潰不成軍,上千人被斬首數千人跳船逃亡,朝鮮水師的船艦約160隻被日本俘虜,元均、李億祺、崔湖皆戰死,朝鮮水師全軍覆沒,日本獲得海上的控制權。[2]

影響

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朝鮮水師覆沒,只剩下12艘船;日本水軍從此獲得制海權。

日本水軍的編制

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水軍

陸上部隊

朝鮮水師編制

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  • 元均:三道水軍統制使・全羅左水使(戰死)
  • 裴楔:慶尚右水使(逃走)
  • 李億祺:全羅右水使(戰死)
  • 崔湖:忠清水使(戰死)

參考資料

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  1. ^ 1.0 1.1 1.2 A Global Chronology of Conflict: From the Ancient World to the Modern Middle East, Spencer C. Tucker, 2009, p.548
  2. ^ 7月14日、再三閑山島の本営を出撃し、15日夜半には巨済島と漆川島の間にある漆川梁に停泊していた。この情報を得た日本軍は水陸から挾撃する作戦をたてた。16日の明け方より藤堂高虎らの日本水軍は海上から攻撃し、陸上部隊がこれを援護した。戦いは日本水軍が朝鮮水軍を圧倒し、數千人を討ち取り、その他大勢を海へ追い落とし、160餘隻を捕獲、津々浦々15~16里にわたって海賊船を悉く焼卻した(『島津家文書』)。朝鮮水軍の主將のうち元均、李億祺、崔湖は戦死し、一人裴楔のみが逃走、朝鮮水軍は壊滅的打撃を受けた。この戦いに勝利した日本軍は陸海から全羅道に向かって進撃してゆく。