高知新田藩
高知新田藩 | |
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外样 | |
别称 |
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日语汉字 | 高知新田藩 |
平假名 | こうちしんでんはん |
罗马拼音 | Kōchi-shindenhan |
创藩日期 | 安永9年12月21日(1781年1月15日) |
创藩理由 | 分知 |
大名家 | 山内家 |
石高 | 13,000石 |
藩邸 |
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废藩日期 | 明治3年9月25日(1870年10月19日) |
高知新田藩(日语:高知新田藩/こうちしんでんはん Kōchi-shindenhan */?),又称土佐新田藩(日语:土佐新田藩/とさしんでんはん Tosa-shindenhan */?)或小池藩(日语:小池藩/こいけはん Koike-han */?),为日本的藩,安永9年12月21日(1781年1月15日)创藩,明治3年9月25日(1870年10月19日)废藩,原本是土佐藩的一部分,石高是13,000石,藩厅所在地众说纷纭[注 1]。江户藩邸方面,分为上屋敷和下屋敷,上屋敷位于麻布古川町,下屋敷则是三田寺町[注 2],拜领自弘化4年6月23日(1847年8月3日)[7]。
历史
[编辑]庆安2年(1649年)8月,土佐藩藩主山内忠义三子山内一安分家,创立麻布山内家。明历2年12月20日(1657年2月3日),一安获提拔为江户幕府将军德川家纲的小姓,并且获赐廪米3,000俵。万治3年6月4日(1660年7月11日),年仅25岁的一安死去,由其弟山内之丰在同年12月28日(1661年1月28日)继任家督。元禄4年7月21日(1691年8月14日),由于之丰之子丰则和丰房均早死,因此由中村山内家的山内丰明之子山内丰清继位。元禄10年7月26日(1697年9月11日),基于元禄地方直,廪米3,000俵被改为知行3,000石,遍布于上总国武射郡、夷隅郡、下野国安苏郡和簗田郡,其后上总国的一部分再改为常陆国河内郡。宝历6年10月4日(1756年10月27日),山内丰明之子丰成的四子山内丰产继位[4][8]。
安永9年12月21日(1781年1月15日),丰产获土佐藩藩主山内丰雍分知藏米10,000俵,连同原本领有的3,000石,以13,000石创藩。天明3年5月21日(1783年6月20日),土佐藩藩主山内丰敷五子山内丰泰作为养子继位。享和3年7月6日(1803年8月22日),丰泰长子山内丰武继位,文政8年9月27日(1825年11月7日)再由丰武长子山内丰贤继位。安政3年6月6日(1856年7月7日),原为土佐藩藩主山内丰策之子的秋月藩藩主黑田长元的次子作为丰贤的养子而继位,即山内丰福[1][4]。
戊辰战争爆发后,丰福虽然是佐幕,但是不主张对抗,不过由于抗战派在庆应4年正月12日(1868年2月5日)由德川庆喜于江户城举行的会议中取得主导权,丰福也不得不接纳。另一方面,土佐藩藩主山内丰信则要求丰福前往京都,与土佐藩一同行动,夹在两者之间的丰福最终在同年正月13日或14日(2月6日或2月7日)自杀,其妻山内典子也殉死。高知新田藩未有即时公开其死讯,同年6月10日(7月29日),按照丰福的遗愿,以其名义让丰贤之弟丰充的长子山内丰诚作为养子,在被接纳后才于7月17日(9月3日)提出继承申请,最终丰诚在9月16日(10月31日)继任为家督。与此同时,高知新田藩在丰福死后于土佐藩一同行动,于3月16日(4月8日)加入新政府军,并且在3月26日(4月18日)与土佐藩的藩兵汇合。其后,藩兵先后参与今市之战、白河口之战和母成峠之战等战役。明治2年6月2日(1869年7月10日),丰诚凭战功获赐赏典金5,000两。明治3年9月25日(1870年10月19日),高知新田藩并入至高知藩而废藩[4][8][9]。
历任藩主
[编辑]家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 藩领 |
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山内家 | 外样 | 山内丰产 | 13,000石 | 上总国武射郡和夷隅郡 下野国安苏郡和簗田郡 常陆国河内郡 |
山内丰泰 | ||||
山内丰武 | ||||
山内丰贤 | ||||
山内丰福 | ||||
山内丰诚 |
领地
[编辑]令制国 | 郡 | 领地 |
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上总国 | 夷隅郡 | 正立寺、植野、植野 |
武射郡 | 小池 | |
常陆国 | 河内郡 | 驹冢村 |
下野国 | 安苏郡 | 船津川村、石冢村、船越村 |
簗田郡 | 日向村 |
注解
[编辑]参考资料
[编辑]- ^ 1.0 1.1 川村优. 小池藩. 坂本太郎、关晃、臼井胜美、大石慎三郎、加藤友康、菊地勇次郎、笹山晴生、濑野精一郎、高村直助、土田直镇、鸟海靖、早川庄八、尾藤正英、福田丰彦、丸山雍成、皆川完一、安田元久、由井正臣 (编). 国史大辞典. 国史大辞典 5 JapanKnowledge (吉川弘文馆). 1985-02-01. ISBN 978-4-642-00505-0 (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、川村优、三浦茂一 (编). 小池. 角川日本地名大辞典 千葉県. 角川日本地名大辞典 12 日本文学Web図書館. 角川书店. 1984-03-08. ISBN 4-040-01120-1 (日语).
- ^ 大谷贞夫、岩沢利正、伊藤一男、木ノ内秀男. 小池村. 小笠原长和、池田宏树、伊藤喜良、大谷贞夫、冈田茂弘、川户彰、川名登、熊野正也、后藤和民、高村隆、西垣晴次、平野馨、堀江俊次 (编). 千葉県の地名. 日本历史地名大系 12 JapanKnowledge. 平凡社. 1996-07-12. ISBN 4-582-49012-3 (日语).
- ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 山本大. 高知新田藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 中国・四国編 6 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 597–599. ISBN 4-639-10034-5 (日语).
- ^ 上屋敷 マップ. 人文学开放数据共同利用中心. [2023-07-21] (日语).
- ^ 俵元昭、榎本纪子、平田秀胜、左右田昌幸. 三田. 儿玉幸多、石冢裕道、小川信、北原进、坂诰秀一、段木一行、森田悌、吉原健一郎 (编). 東京都の地名. 日本历史地名大系 13 JapanKnowledge. 平凡社. 2002-07-01. ISBN 4-582-49013-1 (日语).
- ^ 东京都 (编). 二 帝都(一). 東京市史稿 市街編. 东京市史稿 49 (东京都). 1960-03-25: 510 [2023-07-21]. 国立国会图书馆书志ID:000001226894. (原始内容存档于2023-07-21) (日语).
- ^ 8.0 8.1 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、山本大、冈本健儿、大胁保彦、前田和男 (编). 土佐新田藩. 角川日本地名大辞典 高知県. 角川日本地名大辞典 39 日本文学Web図書館. 角川书店. 1986-03-08. ISBN 4-040-01390-5 (日语).
- ^ 菊地明. 土佐新田藩. 新人物往来社 (编). 三百藩戊辰戦争事典 下. 新人物往来社. 2000-01-25: 202–203. ISBN 4-404-02822-9 (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2023-07-21]. (原始内容存档于2020-11-25) (日语).