反正天皇
跳到导航
跳到搜索
第18代天皇 | ||
在位期間: 406年一月二日-410年一月廿三日 | ||
前任:履中天皇 | ||
繼任:允恭天皇 | ||
逝世 | 410年一月廿三日 | |
陵墓 | 百舌鳥耳原北陵 | |
父親 | 仁德天皇 | |
母親 | 磐之媛命 |
反正天皇(日语:反正天皇/はんぜいてんのう Hanzei Tennō;?-410年1月23日)是日本第18代天皇(在位406年1月2日-410年1月23日),名瑞齒別尊(日语:瑞歯別尊/みつはわけのみこと Mitsuhawake no mikoto)、多遲比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと),是古墳時代的天皇。
系譜[编辑]
仁德天皇的第三皇子。母親是磐之媛命(いわのひめのみこと)。 履中天皇的同母弟,允恭天皇的同母兄。以下是其后妃和子嗣列表:
- 皇夫人:津野媛(つのひめ)
- 香火姫皇女(かひひめのひめみこ)
- 円皇女(つぶらのひめみこ)
- 妃:弟媛(おとひめ)
- 財皇女(たからのひめみこ)
- 高部皇子(たかべのみこ)
略歴[编辑]
406年於履中天皇駕崩後即位。
在位5年後,於410年駕崩。《古事記》記載其時年60。
諡号・追号・異名[编辑]
別名瑞齒別天皇(みつはわけのすめらみこと)。
《古事記》以水齒為別名(みずはわけのみこと)。
中國《宋書》及《梁書》記載中的倭五王,倭王讚為仁德天皇或履中天皇,反正天皇為倭王珍的可能性甚高。
宮[编辑]
都在河內丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや、大阪府松原市上田7丁目的柴籬神社)。
陵墓・靈廟[编辑]
葬於百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)
大阪府堺市北三國中丘町2丁目的田出井山古墳(前方後墳,全長148m)。
關連項目[编辑]
前任: 履中天皇 |
日本天皇 | 繼任: 允恭天皇 |
|
|